予 程

曜日

   行    程

宿泊

備  考

4月28日

 名古屋発11時の夜行バスで徳島駅まで

 

 

  29日

 徳島駅 → 18番恩山寺 → 19番立江寺 → 番外取星寺 

かえで

 

  30日

 星の岩屋 → 仏陀石 → 如意輪寺 → 往復

かえで

 

5月1日

 坂本経由 慈眼寺 往復 

かえで

 

  2日

 20番鶴林寺 → 21番大龍寺 → 南舎心ヶ嶽 → 北捨心 → 22番平等寺

山茶花

 

  3日

 月夜御水庵 → 国道55号 → 弥谷観音 → 由岐経由 → 23番薬王寺

薬王寺会館

 

  4日

 番外玉厨子山泰仙寺 → 別格4番鯖大師 

海山荘

 

  5日

 阿波海南 → 甲浦 → 東洋大師 → 甲浦駅 →徳島駅

 

 


2巡目第2回の区切り打ちへ

出発前に今回は手持ちの資金が苦しいので野宿を考えていた。マットレスも買って昔から持っていた寝袋を使う予定だった。
出発の2〜3日前になって小遣いの追加があった。余ったら返すという事で貰う事が出来た。次回の事も考えて予定通り野宿しようとも思ったが、
炊事用具からテントも入れてザックを担いで見ると思っていたより重い。"o(-_-;*) ウゥム…迷った末に宿泊まりに変更する。
我ながら意志薄弱じゃなぁ・・・・・。
ルートは前回歩き終わりの徳島駅から始めるとして88ヶ所と別格番外を含めてと考えていた。別格と番外を含めたルートというのはいろいろな
歩き方がありどのように廻るか迷っていた。たまたまいつも参考にしている「菊水へんろ館」に「枯雑草さん」の記録がUPされていたのを目にとめ
、このルートにしようと思った。
一ヶ月前に歩かれた記録だった。内々に考えていたのと不思議なほど同じだったので有り難く参考にさせていただく事にした。
記事がUPされていたタイミングの良さに不思議な感じを受けた。まるで、おいでおいでと手招きされている感じ。
前回、別格3番慈眼寺へ行く途中にあって寄ってみたかった星の岩屋、仏石、それに番外の中津峰山如意輪寺もルートに入っている。
勝浦町にある宿をベースに番外、別格をお参りする事にした。


4月29日
2007年4月28日(土)の名古屋発の夜行バスオリーブ松山号で徳島まで。29日の朝5時過ぎに徳島駅前のバス停に着いた。
毎回の事だが、バスの中ではあまり良く眠れずにうとうとしながら何度も体の向きを変える。途中一度だけサービスエリアでトイレ休憩をする。
バスを降りて早朝から営業しているコンビニでインスタントラーメンを食べた。お昼用のお握り2個とお茶を買い、杖袋に入れていた金剛杖をだす。
 夜明け前

まだ薄暗かった空がだんだんと明るくなってきた、眉山のロープウェイ乗り場手前の交差点を左折し街中の商店街を歩く。
朝のジョギングか散歩をしている人に時々出会う。を商店街を抜け左折の遍路標識を見つけ踏切を渡り住宅街に出たところで散歩中の地元の方

に出会い挨拶した。「お早うございます」「お早うございます、どちらから見えたのですか?」と、まぁいつものおきまりの挨拶。
「ここら辺は新しい道も出来ていたりしてわかりにくいから近くまで一緒にいきましょう」ということで55号線の見える所まで案内していただいた。
早速の道案内のお接待を受けた。感謝。
55号線で右折し国道に沿っていくつかの橋を渡る。田圃には田植え間近なのか水が張られている。もう田植えの終わった田圃もあった。
 水の張られた田圃

時々ガードレールや電柱に貼られた遍路道のシールを見かけた。お天気は上々。時々鶯の鳴き声を聞いた。
18番恩山寺手前のバス停前を通る。
2003年の春、ここで野宿したという青年に会ったことを思い出した。取り立ててどうということでもないが、その頃は初めてのお遍路だったので
野宿したという青年が珍しくて印象に残っていた。二言三言言葉を交わしただけだったが・・・。
寝袋を持たずに野宿したのか・・昨日は寒かったのに。何で野宿してまでお遍路しているのかと思っていた。旅に出てみたいだけだったのか?、それにしても何で四国なんだ?
そんなことを思い出しているうちにアスファルトの道から遍路道に入る。少し登ったらすぐに恩山寺に着いた。
 恩山寺

今回の打ち初めのご挨拶を本堂、大師堂として納経が終わるとすぐに次の19番井戸寺へと向かう。
車道を下って遍路標識に従って右折し竹薮の中の小路に入った。地元の方らしき人が前を歩いている、散歩だろうか。後ろからゆっくりと付いて

歩いた。竹薮を抜けたところで番外の釈迦庵に着いた。寂れた小さな御堂で、以前に回ったときには通り過ぎていたかな。
ここの仏足石について案内板があった。徳島県においてもここだけにしかないとのこと。
  

                    佛足石の案内看板     釈迦庵         

お参りして舗装道路に出て田圃の中の水路沿いを歩き集落内の路地裏のようなところを通り抜け広い道路に出た。少し歩いてこの道も通った
覚えがあるなぁと思い起こしながら歩いた。
道沿いにある番外お京塚にもお参りし少し歩いて19番立江寺に着いた。お参りを済ませ境内のベンチで少し休憩。結構たくさんの人がお参り

に来ていた。歩きの人も何人か見かける。同じベンチにザックを置いて休憩した歩きらしき方と少し話をした。
 

     井戸寺         ボタンか芍薬か

定年退職して時間ができたのでテント持参で通しで88ケ所をお参りするそうだ、番外や別格のお寺は遍路道沿いであればお参りするがそれ
以外はお参りしないとのこと。今日の宿を尋ねると、まだ決めてない歩けるところまで歩いて山の中でテントを張るとのこと。
(・・・今からだと鶴林寺と大龍寺の間ぐらいで日が暮れてしまうがなぁ、水場はあったかな?などと思ったので)これからだと日が暮れてしまう、

山の中で一人で寝るだけの平場はあるかもしれないが、水場が無いと思うので途中で水をしっかり補給して置くようにと言って別れた。
一休みして山門を出て左折し集落内の道を地図を見ながら歩いた。番外の取星寺へは遍路道の案内標識は無い。

19番の納経所でおおよその道は聞いたが道行が少々不安。お寺に繋がる集落を抜け、あたり一面が田圃の道に出る。
さて納経所で教えてもらったのは遠くに見える高層アパートへ向かう道。方向は解ったけど直接向かう道路が無いので適当に右へ行ったり左
に行ったりでふらふら歩く。高層アパートの周りは住宅団地になっていて道がわからない。適当に団地内の道を歩き、ある商店でお寺の場所を
聞いた。「しゅせいじ?」「ほしとりじ?」地図を見せてもわからない人たちばかりで・・・ン、ホントにこんな名前のお寺があるのかと思ってしまった。
ようやくお寺を知っている人に出会って道を教えてもらった。しかし方角が・・・解らん
エエーーイままよと適当にこの辺だろうと進んだのがいけなかった。結局55号線まで出てしまい大幅に回り道してしまった。それでも何とか目的

のお寺である取星寺に着きお参りした。
住職と少し話をした。お遍路さんがここまで来るのは珍しいとの、ことそれから昔は住職も名古屋の街に住んでいた事などを話した。
 取星寺 蘇鉄の奥が本堂

寺を出て水路沿いに右折してふらふら歩く。12時過ぎてどこかでお昼でも食べようかと適当な休憩場所を探していたが適当な場所が見つからず
那賀川の堤防まで歩いた。もうお昼はとっくに過ぎていて13時頃になっていた。堤防に出て見晴らしのいい所でザックを降ろしお握りを頬張る。
川面を渡る風が気持ちよかった。ここから今日予約した宿まであと2〜3時間かかりそうだ。靴下も脱いで暫らく休憩した。
どうやら肉刺を作ってしまったようだ。お遍路の初日に無理して歩くと翌日に響くと解ってはいたのだが、取星寺への道に迷ったりで相当無理して

歩いた。
 那賀川の堤防より

おかげで、右足親指の下に肉刺をつくってしまった。肉刺を作ったのは久しぶり。この肉刺の治療が結構痛い、溜まった水を抜いて赤チンを滲み
こませるのだが猛烈に滲みる。翌日皮が乾いてカサカサになりピッタリくっついていれば治療成功となる。痛いだけで歩けなくなるほどではないの
で皮が堅くなるまでテーピングして歩く。
宿へ向かう途中に番外の沼江大師にもお参りした。道端のベンチに腰掛けて休憩していたら近所の方からポケットティッシュのお接待をいただい

た。感謝。宿には16時頃に着いた。女主人が外に出て待っていてくれたみたいで挨拶して、此処の宿で三泊する事の了解を得る。一応事前に電
話で話してあった。明日は星の岩屋と如意輪寺の往復、明後日は別格慈眼寺の往復、次の日に20番へ向かう事などを話した。夕食は用意出来
ないので近くの食堂を教えてもらい風呂上りに行ってみることにした。部屋にあがって・・泊めて頂けるだけで感謝かな。
お風呂をすませ、食堂を捜して宿の外に出た。
何となく麺類が食いたくて店を探した。中華そばの赤い幟が出ている店で豚骨ラーメンの大盛りとビールを頼んだ。この1杯のビールが旨い。
明日の朝食もないので近くのすし屋で助六寿司(朝食と昼食)を買った。部屋に戻って肉刺の治療をしたが、やっぱり赤チンが滲みて物凄く痛

かった。


4月30日
 朝の勝浦川
朝の5時頃に起きて朝食を済ませ余分な荷物を置いて5時45分に宿を出発。まだ辺りは明るくはなってきているものの日は射していない。
右足親指の付け根にできた肉刺はテーピングのおかげかさほど痛みを感じない、違和感なく歩けた。
山の裾野の集落と勝浦川に挟まれた道を家々の庭の草木等眺めながら、昨日宿の女将さんに教えていただいた星の岩屋への標識を探して歩く。
「川と道の間にビニールハウスが沢山有る辺りに山へ登っていく道があるよ」、「手前にも道は有るけど判りにくいから舗装されたそちらの道のほ
うが判り易いよ」、とのことだった。
星の岩屋への案内標識
川沿いに歩いて看板を発見、6時30分、左折して集落を通り抜け山の中へ進んだ。辺りはミカン畑が多い、鶯がよく鳴いていた。
途中までは案内看板もあり迷わず進んだ。軽四で農作業に来たらしき地元の方に会った。確認の為道を尋ねた、「星の岩屋はこの山の向こう側で此処からは見えないが・・」、上のほうにある擁壁らしきい白い物を指差して「あそこに見える白い物を目指して行けばいい」との事。
お礼を言って先に進む。
ポンプ場らしきところを過ぎ、さらに登ったところで近くの民家の方が車で上って来た。又、道を教えてもらった。この辺りはミカンの木を植えた段々畑の間の道。何だか道に野菜くずやみかんの屑などが落ちている。食い散らされた跡みたいなものが沢山落ちていた。
イノシシでも出るのかと思っていたら、なんか見られているような気配を感じる、突然上のほうでガサガサ音がして黒っぽい影が逃げていった。
野生の猿だった。お遍路していてこんなに近くで感じたのは初めてだった。猿の糞らしきものも落ちていた。
持ち鈴を出してザックに付け鳴らしながら歩く。
 
星の岩屋本堂            岩屋下の滝   

7時30分に星の岩屋に着いた。納経所には誰もいなくて張り紙がしてあった。納経は20番鶴林寺でしてもらえるとの事が書いてあった。
お参りと休憩をして7時50分に出発。納経所の隣を通って仏石と中津峰山へ向かう分岐路への坂道を登る。8時に分岐点に着く。
  
分岐点の標識             穴門             仏石の案内板

そこには穴門と呼ばれる遺跡があり更に穴門の上には石塔が建っていた。仏石に行くためそこで一度下へ5分ほど下る。
開かれた道に出て社らしき建物と休憩所も有った。仏石はそこから左へ入って直ぐの所にあった。
石仏が53体ある、独特な何かを感じる不思議で静寂な空間だった。相変わらず鶯は鳴いていましたが・・。
 
        仏  石                     穴門の上にある石塔
そこで般若心経を唱えてから又来た道を今度は中津峰へという案内標識に従って左に折れ、8時40分、尾根に付けられた偽木の階段を登る。
途中で林道に出るが真っ直ぐ突っ切るように上に登り、頂上手前の高原のような広場へ出た。
 
尾根道から広場へ出たところ   後ろを振り返って

右折し、舗装された道を少し歩きすぐに右側の林の中の道に入る。この辺に案内標識がなくて少し迷ってしまった。
林の中の道に四国の道の標識があった。もう少し手前にあったら迷わなくても済んだのにと思う。
道なりに進み鉄塔の手前を過ぎると石垣に囲まれた中津神社に到着、お参りをした。この神社のすぐ裏が中津峰山の山頂。
10時25分、此処で風景を楽しみながらしばらく休憩。この神社は防風の為なのか周囲を石垣で囲んである、こういう形の神社は初めて。
GWだというのに星の岩屋手前の民家からここまで誰にも会わなかった。頂上近くの舗装道路で1台の車に出会っただけ。
   
中津峰山頂より          中津神社             神社入り口          如意輪寺

神社の入り口に如意輪寺への案内標識があったのでそれに従って擬木の階段で作られた尾根道を下る。
番外の中津峰山如意輪寺に11時頃着く、山門から入るのではなく大師堂の脇から寺に入った。
寺のスピーカからお経が聞こえてくる。お参りしようと本堂に行くと「中に入って結縁開帳に入って下さい」と進められた。
まだ、本堂と大師堂をお参りしていないので先にお参りと納経を済ませ朱印を戴いてから、住職に勧められるまま中に入り手に香を塗り
お参りに来た方々と一緒に本堂の中でお経を唱え講話を聞いた。
お寺のご本尊は如意輪観音様で重要文化財に指定されていて、毎年5月のこの時期に開帳しているとの事。更に今年は大屋根の落慶
を記念して今まで厨子の中に納められていて滅多に見られない仏様も開帳しており、愛染明王様は60年ぶりその他の仏様はそれ以上
で前回何時開帳したか記録がないとのこと。本尊の如意輪観音、愛染明王、青面金剛(庚申さん)、三十八社大権現(中津峰を中心とする土地の
総鎮守様)、孔雀明王、随求菩薩、普賢延命菩薩、両界曼荼羅二幅、出山釈迦図、文殊菩薩、深沙大将、日待三尊三幅対、びんずるそんじゃと
沢山開帳されていました。
写真を撮っても良いかと伺った所「良いですよ」とのことだったので控えめに撮らせてもらった。
   
  愛染明王像         金剛界曼荼羅           胎蔵界曼荼羅      本尊の如意輪観音

愛染明王には多少興味があったので、不思議な御縁に感謝しつつ12時頃にお寺を出発し、来た道を又戻る。
今度は登り1時間と少しかかった。13時頃中津峰山で一休みして昼食のお寿司を食べ、擬木の階段の尾根道を下る。降りていくと、道の真ん中に細長い物がある。一瞬ドキッとしてもしやこれは・・・立ち止まってよく見ると微妙に鈍い光がある。何となく周囲の枯葉の色や木の枝とも違う、恐る恐る近づいたらゆっくりと雑木林の中に入っていった。今まで蛇を見なかったのですっかりその存在を忘れていた。
マムシでなくて良かったと思いながら進む。此処で出会った蛇は最初がシマヘビ、次に青大将みたいな黒っぽい緑色の大きいのに睨まれた、目が合ってしまったというのか。草むらに入って行ってくれたが青大将は迫力があった。何となく湿っぽい午後からの山歩きには注意、雨の前の日にはよく蛇に出会う。この歳になってもまだ蛇は苦手。
蛇に注意しながら14時過ぎに分岐点、宿へは15時45分着。この日は思いがけない出来事が一杯あった。
野生のサル、仏石の不思議な雰囲気、如意綸寺の御開帳、秘仏との出会い、帰りの蛇の事等。
いろいろな出来事に足の肉刺の痛さを忘れて歩いた一日だった。
宿に着いても食事がないので昨日と同じ所へ。ラーメンの大盛りとビールで食事を済ませ、明日の朝食と昼食代わりの寿司を買い、宿に戻る。


5月1日
6時発、朝からパラパラと小雨が降っている、雨具を着けるか迷ったが着けずにそのままで歩き出す。
坂本川に沿って川沿いの道を上流に向かい歩く、坂本の集落手前16号線とぶつかる当りで雨脚が強くなってきたので雨具を着た。
昨日も又今日も相変わらず鶯がよく鳴いている。山と山の間の道沿いに集落が細々と続いている。懐かしい坂本の集落が見えてきた。
この集落でも農作業に来ているらしいおばあさんにミカンの接待を受けた。感謝しつつ道を登っていった。集落の中に入った。
元は郵便局だったらしい所で庇が出ていて飲み物の自販機とベンチがおいてあった。7時頃、ここで一休み、雨の日は休憩するところが少ない
ので有り難い。この先から坂道を登り集落の中を抜け、前回坂本の宿で貰った地図に従って急な坂道を更に登り山の中へ。
道案内の標識は以前より少々古くなっていたが要所にあった。山間の住宅の庭先を通り抜け山の斜面の細い道を歩く。
雨も降っており風も吹いているのだが山の木々が防いでくれる。でも、休憩する所がない、見晴らしの良い所で立ったままチョット休憩。
雨で煙る山々が見える。坂本トンネルの方から上がってきた道と出会い直ぐに舗装道路に出た、道沿いにしばらく歩いて又林の中の道に入る。
少し歩いて農機具小屋を改造したらしい休憩所に着いた。8時18分頃
引き戸を開けると奥には畳も敷いてある。ザックを下ろして濡れた雨具を脱ぎ縁に腰掛けて休憩。昔の農機具も部屋の片隅に置いてあった。
畳の上のちゃぶ台にノートが置いてあり、感謝の言葉や納札が貼ってあった。私も感謝の言葉を書き込む。朝食のお寿司を少し食べる。
前回は一緒にお参りする人に会ったけど今日はずーっと一人きり。多少の寂しさも覚えながら早々に出発。此処を出るとすぐに舗装道路に
出て右折して慈眼寺に向かう。まだ、名残惜しそうに八重桜の花びらが道路に舞っている。先の道は霧に見え隠れして続いていた。
ようやく慈眼寺に着いたが、雨風は弱まることもなかった。9時20分頃、全身びしょ濡れ状態でお参りを済ませた。雨風は一向に止む気配なし。
この状況なので穴禅定は次回にお預け。お参りを済ませると早々に山を下った。途中で下から上ってきた歩きの遍路と出会ったが挨拶も
そこそこにして来た道を戻った。潅腸の滝も次回にお預け。
帰りも誰にも会わず黙々と歩くのみ。山道を歩いていて飛び立つ鳥の羽音に吃驚するぐらいだった。何を考えていたのか今となっては思い出
せない。雨の中、本当に黙々と歩いていたような気がする。
   
   坂本から慈眼寺への途中にて                  遍路石もあった

帰り道、登る時に休憩した接待小屋で又一休み。10時10分頃、そして坂本の集落でも同じところで休憩した。軒下で雨具を脱ぎ靴下も脱いで休
んでいた時、真向かいの家の塀の上にいた猫が足元に擦り寄ってきた。こんな事は初めて。ザックからおやつを出しこの猫に与えたけど中々離れてくれない
裸足になった足をマッサージしてくれるかのように体をこすり付けてくる。このマッサージは疲れた足に本当に気持ちよかった。
何でかなぁ・・抜け毛の時期でもないのに・・不思議な出来事でした。11時20分

  
 沢蟹も出てきていた          猫が疲れた足に絡んできています。

それ以外は特に変わったこともなく13時過ぎに宿に戻った。資金が乏しくなってきていたので銀行に行って貯金を下ろす。
足の肉刺はテーピングのせいなのか全然大丈夫だった。思ったより早く宿に戻れたので夕食までの時間をのんびり過ごす。
この日の夕食も昨日と同じラーメンの大盛りとビールだった。帰りに翌日用に寿司を買った。
これで、3日間は同じ夕食メニューだ。明日は3日間もお世話になったこの宿ともお別れ、女将にお別れの挨拶をして荷物の整理をした。


5月2日
今日は20番鶴林寺から21番大龍寺を越え22番の平等寺まで歩く。朝食を済ませ6時に出発。橋を渡って右折、川に沿って少し歩き標識の
ところで左に曲がり山へ分け入っていく。結構急な坂道が続く、昔ながらの山の中の道だ。一昨日蛇に出会って以来マムシに用心しながら歩く。
昨日の雨の中を歩いたときには蛇には出会わなかった。谷間から尾根に出たところで休憩所があったので一休み。天気も良いし、体調も良い。
足の肉刺も気にならなくなっている。快調に登って7時半に鶴林寺に着いた。この道は遍路地図にはグレーの点線でしか表示されていない。
寺に着くまでは誰とも出会わなかった。金子やさんからの道に比べれば急登ではあるが擬木の階段をダラダラ登るのよりは良い。
お参りして納経を済ませた、しかし・・星の岩屋の朱印をもらうのをすっかり忘れていた。残念。
デジカメの調子が悪い、バッテリーの残りが少なくなったような表示が出るようになってしまった。充電は十分したつもりだったのに。
仕方がないのでデジカメの調子が悪いときは、携帯で撮ることにした。
            
            鶴林寺への標識         山門               両側に鶴             水井橋 

鶴林寺から一旦山を下り橋の手前の休憩所で一休み、9時15分。橋を渡って次は21番太龍寺への登り道となる。
川沿いの集落で近くの民家の老夫婦とワンちゃんに出会った。ご夫婦と少し話をした。これから山の奥の畑に行くとの事、軽トラがギリギリ通れる
ほどの山道をゆっくり進んでいった。ワンちゃんは前になり後ろになり走って付いて行った。よくもまぁこんな細い道を高齢の方が運転できるもん
だと感心しながらゆっくり後を歩いていったら、途中で軽トラが止まっていてお爺さんが道端の給水用のパイプからの水漏れをテープで修理して
いた。夜にイノシシがぶつかっての被害だそうで、この辺りもよくイノシシが出るとの事だった。少し歩いて川沿いの苔むしたような休憩所を発見
一休み。ここから道は急な登りになった。
太龍寺へは11時55分に到着。本堂、大師堂とお参りして納経所へ。納経所でふだらく峠越えについて尋ねた。通る人も少ないようですよとの
事・・・ウーンどうするか迷った。どうするか決めかねたがとにかく舎心ヶ嶽まで行ってみることにした。ロープウェイ乗り場の前を過ぎ坂を下り、
また登って南舎心迄行き社にお参り。お大師様の前と後ろからカメラを向けた。周りの景色を堪能してふだらく峠越えの道に入る前に近くにいた
地元の人と話した。特に聞きたかったのは蛇、マムシ、が出ないかということ。その方の話ではハメ(マムシ)は少ないけど蛇はこの時期それなり
に出没するよとのこと。そして一昨日の中津峰の蛇の話をすると、あの山は蛇は多いとの事だった。ウーン何も知らなかった・・
蛇に会うのは嫌なので急遽方針変更、普通の歩きのルートで22番へ行くことにした。途中まだ行ったことがなかったので、北舎心にも立ち寄った。
ここからの景色も遠くの山々が眺められて結構気に入った。

         
           南舎心          南舎心のお大師様      お大師様の前から      後ろを振り返ると     
                
                   北舎心        北舎心からの眺め         22番 平等寺  

坂を下って麓の坂口屋の前で13:35分。5月なのに陽射しが厳しい、休憩するところもなかった。お腹も空いてきたので道から外れた空き地の
木陰で一休みしてお握りを食べた。飲み物も少なくなってきた。道の駅わじき近くのおへんろ休憩小屋に14時25分、此処で靴下も脱いで一休み。
それから大根峠を越えた。そんなに大した峠でもなかったが、峠を下った所でヤマカガシと遭遇、それも2匹続けて。水田の蛙を狙って山から下り
てきたようだった。又嫌いな蛇に会ってしまった。峠から田圃道に出てお接待小屋を発見、地元の農家のおばさんたちが何人か座って話し込ん
でいた。挨拶して通り過ぎた。・・・今考えるとどうしてお接待を受けなかったのかわからない。別に嫌なわけでもなかったのだけど。
22番平等時16時着、この時間に着くのならお接待を受けておけばよかった、そうすれば向こうの方にも喜んで頂けたと今になって思う。
平等寺では鐘を突いてからお参りした。鐘は札所によって撞いたり撞かなかったり。

今夜の宿、山茶花に泊まるのは初めて。前回廻ったときは食堂だけだったような覚えがある。すぐ隣が札所なのでお参りには都合がいい。
しかし近くにコンビニやスーパーが無いので泊りのみでは都合が悪い。無料で洗濯と乾燥ができたのは嬉しい。食事までまだ時間があったので
近くを散歩、橋の上で地元の人と話した。話題はいつもの通りどこから来たのかどうしてお遍路しているのか等。お遍路の動機については
いつも曖昧になってしまうなぁ・・・。近くに酒屋があるとのことなのでビールを買いに出かけた。そこで店の方からも同じような質問が有った。少し
話をしてビールを買ったのだが、お接待でスポーツドリンクを戴いた。有難うございます。
店を出て橋まで戻る途中で草臥れた様子の歩き遍路に出会った.。さっきの店で戴いたドリンクを接待した。
これから近くにある善根宿まで行くとか・・・・。ウーム、善根宿を当てにしての歩き遍路かと思った。
何らかの御縁があって泊めて頂くのは良いと思うのだが、善根宿リストに載っているお宅を訪ねて歩いているのはどうかと思う。
単に旅行の費用を節約しているだけの様な気がする。こういう輩が増えるといずれ善根宿も無くなっていくような気がするが。
お接待したけど、あまり良い気分では無くなった。
宿に戻って明日の予定を考える。今日も嫌いな蛇に会ってしまった、明日の予定はあまり人も通らない山道や里道が殆どで蛇に出会う可能性は
非常に高い、もう蛇の顔は見たくないし、特にマムシには会いたくない。
で、阿部御水大師は次の機会、春先か冬の前後に行く事に決めた。でも国道よりは海岸線を歩いてみたかったのと、田井ノ浜は見てみたいので
由岐経由で23番へ向かう事にした。宿での夕食は18時からで車遍路の方が殆どだったりして話題も弾まず、夕食が終わると部屋に戻った。


5月3日
        麦 畑 

山茶花で朝食を済ませ7時発。麦の穂が出ている道を朝の気分を味わいながら歩いた。水田が多いのに青々とした麦畑を見たのは珍しくて写真
を撮った。お天気は今日も上々だった。月夜の集落内の自販機でお茶を買い足す。その時地元の方と話をした。
大阪で勤めていたが定年退職して奥様の実家がこの集落だったので此処に移り住んで農業をやっているとか。
何故お遍路しているのかとか等、少しお決まりの話をしてから月夜御水庵に7:55分お参りし、国道55号線との分岐点に8時30分着。
55号線を右折し国道に沿って釘打トンネルを過ぎお遍路小屋で一休み、このまま国道沿いに行っても弥谷観音経由で橋を渡っていっても、由岐
には着くが、橋を渡って番外の弥谷観音様にお参りしてから由岐に向かうことにした。橋を渡って少し歩くと左手に標識が現れた。案内を読むと
川を堰き止めたので昔の弥谷観音は水没したとの事、今はもう少し先の祠に移ったとか。今日も陽射しが結構厳しい、人も車も殆ど通らない広
い道を10分ほど歩いて到着。何か行事のあるとき以外は誰もいない番外の庵だった。お参りしてから棚の上においてあったお札を戴いた。
持って帰っては来たものの、このお札をどうすればよいか思案中。(´ー`;)。ご本尊は中津峰山寺と同じ如意輪菩薩様でした。
初めての道は地図に載ってはいても結構長く感じる。55号線の下をくぐって由岐坂峠を10時10分頃通過した。55号線とは違って通る車の数も少
ない。山に囲まれた田舎の風景を楽しみながらのんびり歩いた。あの峠を越えると向こうは海なんだろうと思いながら。
      峠道を下っていた時に面白い標識板発見。赤手蟹が道を塞いでしまうらしい。

広い25号線から遍路道に入りたくて由岐の駅前にでる。ここで駅のトイレを拝借。由岐の街中に入り商店でお昼用のお握りを買う。
由岐の町中の神社に参拝して一休み。少し早いが街中を抜けた田井ノ浜が見える手前の展望台で昼食、11時35分。

       
                田井ノ浜手前の展望台からの眺め                      田井ノ浜

田井ノ浜を過ぎ集落を通り過ぎて海岸線の眺めを楽しんだ。干潮の干潟には海草を取っているらしい人たちがいた。
岬の遍路道へ入る手前で海草を堤防の上で乾していた人に何を乾しているのかを尋ねた。寒天の材料になる天草を取って堤防に乾していたらしい。寒天はあまり食べないなぁ・・・。
遍路道はいままでのアスファルト道から一変して鬱蒼と茂った雑木林の中に入っていった。日陰なのは嬉しいが風が少しあるともっと良いのに
と贅沢なことを考えてしまう。羊歯の若葉が沢山生えていてみんな同じ方向に並んでいた。自然の織り成す模様で綺麗だなぁとか、いろいろなこと
を考えながら歩いていたら・・また、嫌いな蛇に出会いました。薄茶色だったのでシマヘビだと思うが、結構太いのがノッソリと藪の中に消えていき
ました。それからは道端に落ちていた長めの小枝を拾って前を突きながら広い舗装道に出るまで歩いた。また、今日も蛇に会ってしまった。
舗装道路を歩いて山座峠に13時45分頃、そこから海べりに下っていく遍路道を歩いて下の広い舗装道に出た。遍路道はショーカットしただけの道
のようだった。
           
                えびす洞近辺の風景                    23番 薬王寺
後は広い舗装された道路に沿って海岸線の眺めを楽しみながら日和佐の街中へ。街に入る直前の海岸線で一休み。
砂浜・・砂ではなくて砂利浜かな?。何人かの釣り人がキスらしき魚を釣り上げるのを眺めていました。
後から来た歩きのお遍路に会って挨拶を交わしたが、その方は今日は日和佐の街中の遍路宿に泊まるとかですぐ分かれた。
15時30分頃23番札所薬王寺に着いた。お参りを済ませて今日の宿、薬師会館に16時頃着。昨日予約したときには一人部屋だったが
相部屋でお願いしますとの事だった。東京から初めて来られた方で歩いていますとの事。お遍路のことや家族の事などいろいろ話が弾んだ。
彼がお風呂を戴いている間に職場と自宅用にお土産を近くにできた道の駅へ買いに出かけた。
いつも土産は何にしようかと迷うのだが、今回は遍路石饅頭にした。


5月4日
朝食を済ませ相部屋だった方に別れを告げ7時10分に薬師会館を出た。今日も天気は上々で少し涼しいぐらい。
薬王寺から55号線に沿って徳島方面へ少し戻り、川を渡る手前で左に曲がる。
近くのコンビニで昼食用のお握りととお茶を買い、日和佐川に沿って上流に向け歩く。通る車も少なくて静けさが気持ちいい。またも、鶯がよく鳴いていた。開けた田圃の多い平地から山沿いの道になった所でまた、猿の影をみた。2匹ばかりガサガサ音を立てて山の上のほうに逃げていった。
途中で自転車に乗った若い女性ばかりの3人組のお遍路に追い抜かされた。少し遠回りだけど交通量の多い国道55号を走るよりは安全だと思
った。暫くして山裾の住宅から1匹の犬が出てきて落合橋の分岐点まで前になり後ろになりながら付いて来てくれた、彼も案内犬かな?
   
   彼?も案内犬かな?     西山橋の案内
しかし、彼は橋まできたら帰ってしまった。近くの民家で道を尋ねようとしたが不在なのか誰もいなかった。とにかくこの道でいいのかわからなかっ
たので通る車に手を上げて道を教えていただいた。分岐点に案内が欲しいなぁと思ったが、よくよく地図を見るとこのルートしかないので結局何を
迷っていたんだろうと後で考えてしまった。少し歩いて西山橋からは案内の標識があったので順調にお寺まで歩くことができた。

         
        本堂 本尊は如意輪観音様              別格4番鯖大師
番外玉厨子山泰仙寺麓9:00頃、麓からお寺までは1時間ぐらいの上り坂で登りは舗装されていない広い砂利道を、下りはへんろ道を歩いた。
このお寺のご本尊は又も如意輪観音様だった。静かな雰囲気のお堂で、手前には以前誰か住んでいたかの様な離れがあり、本堂から少
し離れたところに大師堂があった。泰仙寺発10:00頃。
前回のお遍路の時には気がつかなかった事なのだが、今回、特に田畑の囲いが目に付いた。で、国道55号線に向かう途中で出会った民家の
人にどうしてこんなに電線や網を設置してるのか尋ねた。
最初目に付いたときには猿やイノシシ除けかと思っていたんだが、意外にも鹿除けの網や囲いだそうな。殆どの山の麓の田圃や畑には鹿の
被害除けの網や電線が張り巡らされていた。農作物を食い荒らす猿や猪、それに鹿まで加わっては山村の農家は大変だなと思う。
普段、何気なく戴いている米や野菜にしてもここでは大変な労力を費やして作られているんだ。感謝。
55号線に11:00頃合流した。国道沿いには適当な休憩所もなく道端に座って昼食をとった。小松大師手前12:20頃通過、牟岐13:40頃、警察署
前のお遍路休憩所でお茶と羊羹を戴いた。疲れていたのか甘いものは美味しかった。ずーっと国道を歩き15:00頃鯖大師に着いた。
お参りを済ませ宿に向かうにはまだ時間があったのでお寺の中を見て廻った。西国33観音霊場のご本尊を書かれた物が壁に並べて展示され
ていた。去年熊野大社にお参りしたおり西国33観音霊場の1番青岸渡寺のご朱印を戴いたのだが、ご本尊が如意輪観音様とは知らなかった。
今回は中津峰山から如意輪観音様によく出会った。不思議といえば不思議なのだが、前以てご本尊を調べておけばそんな事も無かったのかも。
16時少し前ぐらいに今夜の宿、海山荘に入った。鯖大師の宿坊にするか迷ったのだが、何となく鯖大師は敬遠してしまう。
たぶん、前回の別格だけを廻っていたときに断られた印象が残っていたからなのかな。


5月5日
朝食を済ませて海山荘を6:30頃出発。
少し55号線を歩いていたら2003年の夏遍路の時に冷たいお水を接待していただいた喫茶店に到着。
お遍路が一休みできるようにベンチも置いてある。開いておれば珈琲でもと思ったのだが開店前なのか店は開いてなかった、残念。

  55号線沿いの喫茶店
 
交通量の多い55号線に沿って淡々と歩いた。あさかわ7:05分頃通過、阿波海南のへんろ小屋で小休止8:30、新海部川橋を渡ろうとしたところ
で自転車に乗ったおばあさんとすれ違い呼び止められる。「お接待です」と草鞋をかたどった手製らしき小さな小銭入れを戴いた。お礼の言葉に
続けて南無大師遍照金剛が中々出てこなかった。小銭入れの中には200円が入っていた。高野山へお礼参りしたときに収めてこよう。
宍喰の遍路小屋10:50分、逆打ちの歩き遍路らしき方に会うが何となくよそよそしい。挨拶せずにすれ違った。
 
        海部から宍喰へ向かう途中で一休み 

ホワイトビーチホテル前のバス停で一休み11:35分。甲浦駅までで打ち止めとするか番外の東洋大師まで進むか迷ったが、まだ時間に余裕が
あったので東洋大師まで進むことにした。番外野根の東洋大師(明徳寺)に13:15分着。お参りと納経を済ませ帰りのバス便について住職に相談
した。バスは1時間以上先にしか来ないとの事なので結局歩いて甲浦まで戻った。甲浦の駅近くで歩きのお遍路さんに会った、彼も区切りで今回
は甲浦駅で区切ったとの事。一緒に甲浦駅14時55分発の電車に乗りこみ彼は宍喰で降りて温泉に入ってから帰るとの事。私は徳島駅まで。
徳島駅について夜行バスまで時間があったので駅前のビルの中にある温泉に入ることにした。帰りに温泉に入ったのは初めてだったが、歩いた
疲れも抜けていくようで気持ちがよかった。

    
          甲浦駅

さて、次回は番外の東洋大師から打ち始めるのだけど・・・いつ頃お参りできるか。
秋が過ぎてしまったから、また年末から年始にかけてかなぁ。


     

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