2巡目第2回の区切り打ちへ
出発前に今回は手持ちの資金が苦しいので野宿を考えていた。マットレスも買って昔から持っていた寝袋を使う予定だった。
出発の2〜3日前になって小遣いの追加があった。余ったら返すという事で貰う事が出来た。次回の事も考えて予定通り野宿しようとも思ったが、
炊事用具からテントも入れてザックを担いで見ると思っていたより重い。"o(-_-;*) ウゥム…迷った末に宿泊まりに変更する。
我ながら意志薄弱じゃなぁ・・・・・。
ルートは前回歩き終わりの徳島駅から始めるとして88ヶ所と別格番外を含めてと考えていた。別格と番外を含めたルートというのはいろいろな
歩き方がありどのように廻るか迷っていた。たまたまいつも参考にしている「菊水へんろ館」に「枯雑草さん」の記録がUPされていたのを目にとめ
、このルートにしようと思った。
一ヶ月前に歩かれた記録だった。内々に考えていたのと不思議なほど同じだったので有り難く参考にさせていただく事にした。
記事がUPされていたタイミングの良さに不思議な感じを受けた。まるで、おいでおいでと手招きされている感じ。
前回、別格3番慈眼寺へ行く途中にあって寄ってみたかった星の岩屋、仏石、それに番外の中津峰山如意輪寺もルートに入っている。
勝浦町にある宿をベースに番外、別格をお参りする事にした。
4月29日
2007年4月28日(土)の名古屋発の夜行バスオリーブ松山号で徳島まで。29日の朝5時過ぎに徳島駅前のバス停に着いた。
毎回の事だが、バスの中ではあまり良く眠れずにうとうとしながら何度も体の向きを変える。途中一度だけサービスエリアでトイレ休憩をする。
バスを降りて早朝から営業しているコンビニでインスタントラーメンを食べた。お昼用のお握り2個とお茶を買い、杖袋に入れていた金剛杖をだす。
夜明け前
まだ薄暗かった空がだんだんと明るくなってきた、眉山のロープウェイ乗り場手前の交差点を左折し街中の商店街を歩く。
朝のジョギングか散歩をしている人に時々出会う。を商店街を抜け左折の遍路標識を見つけ踏切を渡り住宅街に出たところで散歩中の地元の方
に出会い挨拶した。「お早うございます」「お早うございます、どちらから見えたのですか?」と、まぁいつものおきまりの挨拶。
「ここら辺は新しい道も出来ていたりしてわかりにくいから近くまで一緒にいきましょう」ということで55号線の見える所まで案内していただいた。
早速の道案内のお接待を受けた。感謝。
55号線で右折し国道に沿っていくつかの橋を渡る。田圃には田植え間近なのか水が張られている。もう田植えの終わった田圃もあった。
水の張られた田圃
時々ガードレールや電柱に貼られた遍路道のシールを見かけた。お天気は上々。時々鶯の鳴き声を聞いた。
18番恩山寺手前のバス停前を通る。
2003年の春、ここで野宿したという青年に会ったことを思い出した。取り立ててどうということでもないが、その頃は初めてのお遍路だったので
野宿したという青年が珍しくて印象に残っていた。二言三言言葉を交わしただけだったが・・・。
寝袋を持たずに野宿したのか・・昨日は寒かったのに。何で野宿してまでお遍路しているのかと思っていた。旅に出てみたいだけだったのか?、それにしても何で四国なんだ?
そんなことを思い出しているうちにアスファルトの道から遍路道に入る。少し登ったらすぐに恩山寺に着いた。
恩山寺
今回の打ち初めのご挨拶を本堂、大師堂として納経が終わるとすぐに次の19番井戸寺へと向かう。
車道を下って遍路標識に従って右折し竹薮の中の小路に入った。地元の方らしき人が前を歩いている、散歩だろうか。後ろからゆっくりと付いて
歩いた。竹薮を抜けたところで番外の釈迦庵に着いた。寂れた小さな御堂で、以前に回ったときには通り過ぎていたかな。
ここの仏足石について案内板があった。徳島県においてもここだけにしかないとのこと。
佛足石の案内看板 釈迦庵
お参りして舗装道路に出て田圃の中の水路沿いを歩き集落内の路地裏のようなところを通り抜け広い道路に出た。少し歩いてこの道も通った
覚えがあるなぁと思い起こしながら歩いた。
道沿いにある番外お京塚にもお参りし少し歩いて19番立江寺に着いた。お参りを済ませ境内のベンチで少し休憩。結構たくさんの人がお参り
に来ていた。歩きの人も何人か見かける。同じベンチにザックを置いて休憩した歩きらしき方と少し話をした。
井戸寺 ボタンか芍薬か
定年退職して時間ができたのでテント持参で通しで88ケ所をお参りするそうだ、番外や別格のお寺は遍路道沿いであればお参りするがそれ
以外はお参りしないとのこと。今日の宿を尋ねると、まだ決めてない歩けるところまで歩いて山の中でテントを張るとのこと。
(・・・今からだと鶴林寺と大龍寺の間ぐらいで日が暮れてしまうがなぁ、水場はあったかな?などと思ったので)これからだと日が暮れてしまう、
山の中で一人で寝るだけの平場はあるかもしれないが、水場が無いと思うので途中で水をしっかり補給して置くようにと言って別れた。
一休みして山門を出て左折し集落内の道を地図を見ながら歩いた。番外の取星寺へは遍路道の案内標識は無い。
19番の納経所でおおよその道は聞いたが道行が少々不安。お寺に繋がる集落を抜け、あたり一面が田圃の道に出る。
さて納経所で教えてもらったのは遠くに見える高層アパートへ向かう道。方向は解ったけど直接向かう道路が無いので適当に右へ行ったり左
に行ったりでふらふら歩く。高層アパートの周りは住宅団地になっていて道がわからない。適当に団地内の道を歩き、ある商店でお寺の場所を
聞いた。「しゅせいじ?」「ほしとりじ?」地図を見せてもわからない人たちばかりで・・・ン、ホントにこんな名前のお寺があるのかと思ってしまった。
ようやくお寺を知っている人に出会って道を教えてもらった。しかし方角が・・・解らん
エエーーイままよと適当にこの辺だろうと進んだのがいけなかった。結局55号線まで出てしまい大幅に回り道してしまった。それでも何とか目的
のお寺である取星寺に着きお参りした。
住職と少し話をした。お遍路さんがここまで来るのは珍しいとの、ことそれから昔は住職も名古屋の街に住んでいた事などを話した。
取星寺 蘇鉄の奥が本堂
寺を出て水路沿いに右折してふらふら歩く。12時過ぎてどこかでお昼でも食べようかと適当な休憩場所を探していたが適当な場所が見つからず
那賀川の堤防まで歩いた。もうお昼はとっくに過ぎていて13時頃になっていた。堤防に出て見晴らしのいい所でザックを降ろしお握りを頬張る。
川面を渡る風が気持ちよかった。ここから今日予約した宿まであと2〜3時間かかりそうだ。靴下も脱いで暫らく休憩した。
どうやら肉刺を作ってしまったようだ。お遍路の初日に無理して歩くと翌日に響くと解ってはいたのだが、取星寺への道に迷ったりで相当無理して
歩いた。
那賀川の堤防より
おかげで、右足親指の下に肉刺をつくってしまった。肉刺を作ったのは久しぶり。この肉刺の治療が結構痛い、溜まった水を抜いて赤チンを滲み
こませるのだが猛烈に滲みる。翌日皮が乾いてカサカサになりピッタリくっついていれば治療成功となる。痛いだけで歩けなくなるほどではないの
で皮が堅くなるまでテーピングして歩く。
宿へ向かう途中に番外の沼江大師にもお参りした。道端のベンチに腰掛けて休憩していたら近所の方からポケットティッシュのお接待をいただい
た。感謝。宿には16時頃に着いた。女主人が外に出て待っていてくれたみたいで挨拶して、此処の宿で三泊する事の了解を得る。一応事前に電
話で話してあった。明日は星の岩屋と如意輪寺の往復、明後日は別格慈眼寺の往復、次の日に20番へ向かう事などを話した。夕食は用意出来
ないので近くの食堂を教えてもらい風呂上りに行ってみることにした。部屋にあがって・・泊めて頂けるだけで感謝かな。
お風呂をすませ、食堂を捜して宿の外に出た。
何となく麺類が食いたくて店を探した。中華そばの赤い幟が出ている店で豚骨ラーメンの大盛りとビールを頼んだ。この1杯のビールが旨い。
明日の朝食もないので近くのすし屋で助六寿司(朝食と昼食)を買った。部屋に戻って肉刺の治療をしたが、やっぱり赤チンが滲みて物凄く痛
かった。
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