予 定 

曜日

   行    程

  宿 泊 先

        備    考  

  12月27日

第1番〜別格1番大山寺〜6番へ

安楽寺宿坊泊

  大山寺登りタクシー

  28日

6番〜11番へ

旅館吉野泊

  29日

12番へ

民宿植村旅館泊

  30日

別格2番童学寺〜番外建治寺〜13番大日寺

名西旅館花泊

  31日

14番常楽寺〜17番井戸寺〜徳島駅〜京都〜名古屋


2006年冬12月から2巡目
冬場のお遍路は初めてなので服や装備をどうしようかと迷った。春と秋はおなじ服と装備でよかった。夏は汗を大量にかくので下着は1着多めに持って行ったが、洗えばすぐ乾いたので次回は省く。冬以外は同じ服と装備でいけそう。
(まぁ・・3日間ぐらいは同じ下着でも平気という神経の持ち主なので(^^;))

宿泊は宿泊まりとして服装は厚手のウィンドブレーカーとズボン下(タイツ)を追加、シャツは長袖、ザックを28Lから45Lにした。

12月26日

名古屋23時発の松山行き夜行バスで徳島まで。

名古屋駅の高速バス乗り場に22時着、煙草を吸いたいが駅近辺は禁煙指定区域で店にでも入らないと吸えない。バスが予定通り出発しインターで休憩になるまで我慢した。3列シートでも結構狭い。自宅で夕食を済ませてきたので早速寝る準備。寒くて毛布を被る。
12月27日
徳島の駅前で高速バスを降り1番の電車で高徳線板東駅まで。駅で笠と杖を袋から出す。白衣はお寺に入ってから着た。霊山寺へはもう何度も足を運んでいる、今回は番外もということで大麻比古神社にもお参りした。大きな楠の御神木が見事で静かな雰囲気の神社だった。
四国では初めての神社で朱印帳に朱印を貰った。番外用の朱印帳は熊野本宮でもとめたもので熊野三社の朱印に地元名古屋の熱田神宮、さらには伊勢神宮の朱印も戴いてある。
2番の極楽寺へ向かう途中遍路シールが色褪せたり変わっていたことに気がついた。赤マジックを持って行って塗れば良かった。
赤い矢印の遍路マークがあると安心する。今回は別格もお参りしたい、しかし、冬場は日が短いので日が暮れる前にお参りを済ませ大山寺から降りて来るとどうやってみても16時過ぎになりそうだった。空模様は晴れたり曇ったりしていて風も強くなかった。しかし寒かった。
大山寺へもお参りしたい、でも今からでは遅くなってしまう・・・・どうしよう、行くべきか止めようか、迷いながらふらふら歩いていると安楽寺の手前でタクシー会社を見つけた。
ダメもとで片道だけでも大山寺へ行ってくれるか聞いてみると「良いですよ」とうれしい返事が返ってきた。帰りは歩いて降りた。
冬の遍路道は雑草が枯れてしまっていて夏場は雑草に隠れている遍路道がはっきりとしていて判りやすかった。
当日の昼前に安楽寺に宿泊の予約をしたが、この時期はお遍路が少ないのか泊まれることになった。
なんとか明るいうちに安楽寺に辿り着く。
宿坊の一部が改装中だった。洗濯を終え明日のコースと宿について予約した。シーズン中は藤井寺近くの民宿が開いているのだが今の時期は開けていないとの事。初めての宿で民宿吉野を予約した。ここも藤井寺の近くだった。
夕食時に車で百回以上回っている車遍路、埼玉から来た親子と車で来たご夫婦と一緒になった。歩きは埼玉から来た親子と私の3人だけ。

夜のお勤めは住職の息子さんが行った、仏像の仏師の話しや曼荼羅の配置の違い、色々話してくれたが忘れたσ(^_^;)アセアセ...


12月28日
朝食時に車で百回以上回っている車遍路の方が錦のお札をくれると言うのを、他の方にあげてくださいと断ってしまった。
今は素直に戴けば良かったと後悔。

埼玉から来た親子遍路は、大学生の娘がどうしてもお遍路に行ってみたいと父親に言って一緒に連れてきてもらったそうだ。
今日は一日中強風で歩くとよろけそうになった。菅笠が何度も飛ばされそうになる。

9番法輪寺で地元のおじいさんがリュックの背負い方を私や親子遍路に教えてくれた。
出来るだけ荷物を肩の上に揚げる様に言っていた。それからお寺の見所について、これは是非見ておくべきと10番切幡寺の観音様と藤井寺の本堂の天井近くにある絵を見ていくように教えてくれた。
昨日宿で一緒だった親子連れと前後しながら歩く。不思議と1回目の遍路で感じた不安感は無かった。10番切幡寺の階段を登っている途中で携帯に電話が掛かってきた。電波の届きが悪いのかとぎれがちだった。
吉野川の潜水橋手前から強風と横殴りの雨になってしまった。欄干のない橋なのでしっかり歩いていないと思わずよろけてしまうほどの強風だった。
この強風と雨で十分な装備をしていない親子連れの遍路が気になった。なんとか橋を渡って堤防上の休憩小屋に入る。

笠とヤッケのおかげでそれほど濡れてはいなかった。小屋の裏手の高台にある公園のトイレで用を足す。橋の中州の竹藪で風を止むのを待っていたらしい親子遍路も無事橋を渡ってきたのを確認した。親子は地図を持っていないのか堤防に沿って行ってしまった。ルートを間違えているようだが11番藤井寺で又会えるだろうと思い小屋を出て前に進む。
街中の見覚えのある道をペースを落とさないようにして歩く。3年前に歩いた道だけど結構覚えているもんだ。
さて、今夜の宿は何処にあるのだろう、あまり11番から離れていませんように等考えながら歩いた。歩いていると、たとえ少しでも後戻りするのは苦痛に感じる。

11番藤井寺で本堂の天井裏を見上げる、龍が描かれていた。弁天様の絵も壁に書かれていた。納経し朱印を戴いて一休みしていたとき親子遍路が到着した。彼らは今日帰るそうなのでここでお別れ。
納経所で今夜の宿吉野が何処にあるのか訪ねる。吉野は開業してまだ間がないそうで、お寺から神島方面に向かって5分ほど歩いた所にあった。普通の民宿で感じは良かった。
15時頃に到着、部屋に落ち着いて暖房を入れる。洗濯と乾燥機があったので洗濯をする。お遍路に出たときの日課、足のマッサージと荷物の整理をする。それから明日の焼山寺について同行者がいないか気になったので女将に尋ねる。
さすがに同行二人でお大師様と一緒とは言っても一人では心細い、修行が足りないのはわかっているが・・・・。
今夜は3人の宿泊者がいる予定なので食事時にみんなに聞いてみるといいとのこと。
食事時に3人と明日の予定について話す。名古屋のご夫婦と九州の熊本から来た女性も明日は焼山寺へお参りしたいとのことだった。
いろいろ話しをしたが、明日の天気とか宿が気になる。鍋岩荘も焼山寺も冬は営業していないとの事。女将さんに話すと植村旅館なら泊めてくれるかもしれないとの事なので食事が済んだら電話してみた。泊めてくれるとの事。名古屋から来たご夫婦も一緒に泊る事になった。
熊本から来た女性は明日、焼山寺から降りたら徳島経由で明日中に熊本へ帰るとの事


12月29日

全員早めに朝食を終え、お昼のお握りを持たせて貰って6時30分頃に民宿を出発。
まだ、薄暗いなか4人揃って歩いた。私以外は初めてのお遍路ということなのでなんとなく案内役になってしまった。
名古屋のご夫婦は定年退職していまは悠々自適の生活を楽しんでおられるとか、昔から夫婦で山登りを楽しんでいた等歩きながら又休憩の合間に話しをうかがう。ご夫婦は私と熊本の方から少し遅れマイペースで登ってくる。私と熊本の方がペアで先に歩き後から付いて来てくれるのを確認しながら歩いた。
熊本から来た方はふと思い立ってきたそうで、しかし冬場で初遍路とは・・・少々驚いた。それにしても不思議なご縁だな。
空模様は曇りで雪が時折降ってきた。風も強かった、しかし木々に囲われた遍路道ではそう気にならなかった。気温が低いせいか汗は全然かかない。じっとしていると直ぐに寒くなる身体を動かしていた方が暖かい。流水庵では水は凍っていたが湧き出てくる所の水は凍っていなかった。
大きな休憩はせずに長戸庵、流水庵と順調に上り下りをこなしようやく浄蓮庵のお大師様に会う事が出来た。もう何百年もここでこうして歩きの遍路を見てきた事だろう。1回目の遍路のときに胸がいっぱいになった事を思い出した。
等と感慨にふけっていたときに横からヒョコヒョコとここで野宿したらしい遍路に出会った。Σ('◇'*)エェッ!?こんな雪が積もって路面が凍っているのにとビックリしてしまった。この季節水も無いのにここで野宿したのですか!!。とりあえず挨拶を交わして先に進んだ。ここで後から登ってきたお坊さんらしい方に追い抜かれた。
もうすぐ左右内谷の集落につく直前の山道で3人ほどの若者が私たちの後ろから走りながら追い抜いていった。集落からは左に折れて行ってしまったのでハイキングかなとも思う。地元の方にとっては勝手知ったる山道なのでしょうが、これにも驚いてしまった。

宿を6時30分頃でて12時30頃に焼山j寺に到着した、6時間かかった。焼山寺では路面が凍結していた。雪も積っていた。お参りを済ませ温かい饂飩でも食べたいと思ったが食堂はやってないとの事。納経所のストーブに当らせて貰いながら昼食をとった。おにぎりが冷たかった。ここで大休止させてもらった。焼山寺から杖杉庵を経て鍋岩手前まで行った所で遍路道の標識どおり進んだが、予定していたコースとは違った。このコースでも玉が峠を通って
いけるのだが。もう少し進んで左に上がっていくルートだったはずだが。予定のコースではないが良いかと3人に尋ねると別にいいとの事なのでそのまま進んだ。玉が峠に辿り着くまでが結構長かった、また、そこから鏡岩までも長く思われたが、下り道は4人で歩いたりばらばらに歩いたりで気ままにお喋りしながら退屈せずに16時頃には植村旅館まで着いた。ここで熊本の方とお別れ、名前も伺わずにお遍路に来た理由も聞かず(これはまぁ普通)
。今日中に熊本の家まで帰れる事を願ってお別れした。徳島行きのバスは出てしまった後だったが地元の方が徳島の近くまで送ってくれるという。
いつも思う事だけど地元の方々のこの優しさは一体どこから来ているのだろうと思う。
旅館については暖房が入っていなかったり10畳ほどの大部屋で一人で寝る事になったりで、寒かった!!。
風呂に入っても全然身体は温かくならず冷え切ってしまってた。食事の合間にお酒を5合ぐらい飲んだ
が、頭は酔っ払っていてもまだ身体はそれ程温かくならなかった。


12月30日
頭がスッキッリとしない。昨日は大部屋で一人だけだったので部屋の暖房も殆ど効かず酔っぱらったまま寝てしまった。起きても二日酔い状態。
朝はやっぱり寒かった、しかし、天気は良さそう。名古屋から来たご夫婦と一緒に朝食をいただく。
彼らはお正月中でも宿が開いていればお遍路を続けるとのこと。私は家の事情で今回は31日には帰らなくてはならない。
お別れを言って別々に宿を出た。今日は別格2番の童学寺と番外の建治寺をお参りして13番大日寺付近で宿を取る予定。
宿からは鮎喰川に沿ってゆっくりと歩いた。広野をすぎ行者野橋をすぎて左の道へ、童学寺トンネルへ向かう。苦手なトンネルだが出口が見えている。
早足で通過したが、トンネルの中の轟音と閉塞感にはまいってしまう。
トンネルを抜けたところで遍路道を探したが見つけられなかったのでそのまま下まで降りてから左に折れて童学寺に向かう。
山門をくぐって中にはいると前回納経してくれた方が境内の掃除をしている、挨拶をしてからゆっくり参拝した。寺はお参りする人が少ないのか閑散と
していた。この時期お参りに来る人もいないのだろう、お正月の準備でお参りどころではないのかもしれん。
納経所のそばの壁に尋ね人のポスターが貼ってあった。お遍路にいくといって行方不明になったらしい。
いろいろな事情を抱えた人たちがお参りしてるんだ、皆は何をお願いしながら祈っているのだろう。
次は建治寺に向かう。来た道を引き返し再びトンネルを通過した。行者野橋まで戻るかそれとも入田春日橋までいくか迷ったが結局行者野橋まで戻り
左折して21号線を歩いた。橋のたもとの雑貨屋でお昼のお握りを買い建治寺へ。登り口を探すのに少し迷ったが前回お参りしたときに降りてきた道の石柱を見つけた。地図を見ながらだんだんと山の中に入っていく。道端の石仏に導かれるように山道を登り車道と山道の分岐点で山道を進む。
崩れかけた木の鳥居をくぐり行場と鎖場を登って寺の下の駐車場に出た。お参りを済ませて納経所の前のベンチで昼食のお握りを頬ばる。
納経は若いお坊さんがしてくれた、前回は若い女性だった。ベンチに座ってゆっくりして庭を見ていると小さな女の子と父親らしい方が遊んでいた。
前回納経してくれた女性が納経所の裏から出てきて子供を抱き上げていた。結婚されて子供がいるんだ。
そういえば初めての遍路からもう4年近く経っている。時計を見ると13時だった。7時頃宿を出たから6時間ぐらいか。ここから今夜の宿まで2時間ぐらい見ておけば着くだろう。また、来た道を引き返す。
昼前に宿の予約はできた。川に沿って歩き、13番大日寺には15時過ぎに着いた。大日寺のお参りを済ませて隣の神社にもお参りをして番外の納経帳に朱印を戴いた。宿には16時前に着いた。ここは経済的な理由で素泊まりにした。
自転車を借りて近くのコンビニまで夕食の買い出し。暖かいお風呂が気持ちよかった。


12月31日
5時過ぎに起き、昨日のコンビニで買ったお握りを食べ6時過ぎに宿を出た。橋を渡って右に曲がり水路沿いに出て田畑に中の道を進む。
お天気は良好、でもやっぱり今日も寒い。
案内の遍路標識に従って鮎喰川の橋を渡って14番常楽寺に着いた。ここのお寺の本尊は弥勒菩薩様、56億7千万年後にこの世に現れ人々を救済してくれるという未来仏である。そして今の世の人々を救ってくれるのが地蔵菩薩様ということだそうだが・・・個人的にいろいろな想いが交錯する。
前回も此処の納経所でお接待を戴いた、また今回も戴いてしまった。同じ方だったと思う。初めてお接待を受けたときに如何するのかも教えてもらった。
両手を合わせ南無大師遍照金剛と3回唱え納め札をお渡しする。あの時も今もまた胸が一杯になってしまって、山門から出る頃には菅笠で顔を隠して出た。あれやこれやと考えながら直ぐ傍の番外慈眼寺へもお参りした。此処では人がいなかったので朱印は戴かなかった。随分と寂れた感じだった。
15番国分寺でのお参りも済ませたが、ここは参詣の人がぽつぽつ見られた。数人の歩きらしき遍路にも会った。国分寺から16番観音寺へ向かう、それなりに前回の記憶があるので地図を確認せずに標識だけで歩ける。観音寺ではそれなりに参詣者がいて納経所では順番待ちになった。
町並みは特に変わった感じも無く17番井戸寺に向かって歩いた。JR徳島線の踏切を渡り水路に沿った道を歩いていた時に車が止まって、これはお接待ですと袋に詰めたお菓子を戴いた。ありがたく頂戴した。でも、今日でお遍路は終わりなので戴いてからこのお菓子を如何するか迷う。袋の中には巡来抄という冊子が入っていた。自宅に帰って読み返してみると、いろいろと考えてしまう、今の私だとちょっと違うように思う。( ̄ヘ ̄;)ウーン
17番井戸寺もお参りしてから徳島駅駅まで歩くか、此処で区切って次は再度17番から歩くか思案した。結局、徳島駅まで歩き次回は徳島駅から始める事にした。


     

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