11月22日(土)
バスから降りてザックを受け取り今回のお遍路の始まりとなった。少し雲はあったがお天気は良く、風も少しあった。
宿毛駅構内のベンチで出発準備。白衣はザックに仕舞って、白っぽいウィンドブレーカー、手には金剛杖、笠はザックにくくりつけたスタイルで
駅を出た。笠を被らなかったのは風に煽られるのが嫌だったのとザックが笠の後ろに当たるのが煩わしかったから。
駅から北に歩いて遍路道に出た、久しぶりに見る遍路道の方向を示すステッカーに出会って少し安心。
住宅街そばの貝塚を過ぎ遍路道らしい風情になってきた。
ガマの穂が出ている池の側やみかん畑横のあぜ道を通過。小深浦、大深浦を過ぎて子安地蔵堂に9時頃到着、ここで一休み。
お参りしようと戸を開けたら中でテントを張って誰かがまだ寝ている様子、起こさないように小声でお経を唱える。戸を閉めて外の縁側にザックを
置き、靴を脱いで足を休めた。それにしても、9時になってもテントの主は起きて来ない・・・時間を気にすることなくゆっくりできるのも野宿やテント泊ならではな のか。
今回は歩きの工程を組むのに直前まで迷った。何とかして篠山神社にお参りしたかったのだが、そうすると私の足ではどうしてもあと1日の時間
が必要になってしまう。休暇に限りがあるから何処かで工程に無理をしなくてはならなくなってしまうので、結局今回は諦めることにした。
で、宿は札掛けも考えていたが40番観自在寺から少し歩いた所にある民宿にした。
子安地蔵からは峠の上り道が始まる、変わり行く景色を楽しみながらゆっくりと進み峠の茶屋跡に着いた。
木の根っこにお地蔵様
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大師堂への途中より
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松尾大師堂
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大師堂からの下りの山道
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松尾大師堂がすぐ側にある。大師堂の戸が閉まっていたので開けて中の座敷に座りお参りした。
終わって元通りに戸締りをしようとしたら、後から来た方が「私もお参りします、戸締りはしておきます」と言われたのでその言葉に甘えてそのまま
「お先に」といって歩き出した。
峠から落ち葉を踏み快調に本当に気持ちよく歩けた。 舗装道路に出たところで女性2人組の歩き遍路らしき方と出あった、軽く会釈して先に進む。
そういえば今回は2巡目のお遍路なので何か他のお遍路の為に出来ることは無いかと考えていた。
例えば、遍路道のゴミ拾いとか草刈、薄くなった標識の色塗りとか・・・。とりあえず今回は赤マジックで標識の薄くなっているものを塗りなおす事にした。
一番良いのは赤いペンキで直すのが一番なのだが筆やペンキの缶が荷物になるのでマジックにした。
スプレーでという選択もあったが上手く塗り直せないと思ったのでパス。
一本松の集落手前の神社で一息入れる。直ぐ傍に立派なトイレやベンチも有った。ザックを置いてベンチに腰を下ろし間食にお握りを食べていると先程の
女性2人組もやってきて隣のベンチで一休み。
少し話をした。さっきは暖かくなってきたので山道を抜けたところで上着を脱いでいたとの事、それから区切りで歩いている事とか今夜は40番近くの宿で泊まる
とか良い天気で良かった、アスファルトの道より山道の方が歩きやすかったとか話した。
休憩も終わりほぼ同時に歩き出したがペースが違うので先行する。
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神社横のトイレ |
水鳥をボーっと眺めていた |
40番観自在寺への入り口 |
一本松の集落を過ぎたが道にあまり覚えが無い事に気づいた。2004年の春に歩いた時は前夜の宿で一緒だった愛知から来たお遍路さんと一緒で話をしな
がら歩いたからなのかな。
そうして歩いているうちに赤坂へんろ道に入る。前回は舗装道路ばかりだったような記憶がある。とにかくへんろマークが示す方向に進む。
まぁ、アスファルトの舗装道路ばかりを歩くよりは良かった。川沿いに歩き古びた橋を渡り舗装道路に出て又林の中へ集落内の住宅や裏を通って見覚えの
ある道に出た。そして僧都川に当たって左に折れ堤防の上の道をしばらく歩いた。何本目かの橋で右折したが、近くにある高野山佛眼院には気がつかな
かった。
14時半頃に40番観自在寺に着いた。寺の正面からの印象は以前と変わらなかったが、山門を潜って中に入ると何となく2004年とは違った様な感じだった。
何処がどう違うか判らなかったが、前回は一緒に歩いた方がいたのでお寺の印象は残っていなかったかのかも知れない。・・ボケたかなぁ。
今回ここで特に目に付いたのは「縁」という文字が刻まれた石碑だった。お遍路で出会う人たちに限らずいろいろな方と縁によって繋がっているんだなと思った。
縁とは見えない糸で結ばれている事なのかも。人と人との繋がり、そういえばお遍路は勿論PCで考えもしなかった方とも知り合うことが出来た。
これも「縁」なのか・・・
ほぼ、予定通りの時間にお寺に着いたのでゆっくりとした。境内を見回すと篠山神社があったので、次回はご縁を戴ける様にお参り。
1時間近く境内をうろうろ、参拝者の数はそれほどでもなく団体に出会う事も無かった。
観自在寺を出て右に曲がり今夜の宿まで歩いた。15分から20分ぐらいだったろうか。
16時前頃に今夜の宿「磯屋」さんに着いた。旅館というよりは個人住宅を民宿にしたような感じだった。
今夜の宿の同宿者は2人で埼玉から来た自転車で区切りへんろをしている20台の若い男性と広島から来た一人歩きの若い女性へんろ。
風呂と食事が終わって宿の女将やみんなで雑談。明日からの予定等々。
特に驚いたのは予約した宿に着いて客間を開けると何処かで見たようなお大師様の写真が奉ってあったことだ。
松尾峠にある大師堂のお大師さんの写真だった。あの時お堂を開けてお参りしなければ判らなかっただろう。
どうして此処にあるのか女将に尋ねたところ、女将は松尾大師堂建設のおり建設工事に携わった方々によくお接待をされた方だったとか。
どうして、今回は此の宿に決めたのかなぁ・・。
実は、この大師堂には個人的にいろんな想いがあったのですが・・詳細は省く。
40番の「縁」という石碑と今夜は此の宿に偶然にも泊まったことに不思議を感じました。
宿を予約した時には初日の歩きはこれぐらいの距離で良いかと考えて決めただけなのに・・・。
11月23日
朝6時頃に食事をして宿を出発した。今日は番外の満願寺を廻って津島の宿辺りまでを予定。
お天気はうす曇りで歩きにはちょうど良い、風もそれ程なく絶好の歩き日和だった。
宿を一番早く出て国道沿いを歩いていていると後ろから昨晩同宿した自転車へんろの若者に「お先に」と追い越された。「気をつけてー」と返す。
東の空 西の湾内
陽は昇っていないのか雲のせいなのか薄暗い、坂を上った辺りだった。海が見えてきた。
坂を下って内海村柏の集落に着いた。交番のトイレを借りて用を済ませた。
前回は此処の直ぐ傍の宿で泊まった、道路の反対側のバス停で一休みしていると昨日の宿で一緒だった女性遍路が追いついてきた。
彼女もトイレを済ませ先に進んだ。これからの道は集落を過ぎると山道なので一緒に歩こうと思ったが、彼女のペースが速くて中々追いつけなかった。
小柄だけど思ったよりペースが速い。結局、峠を降りるまで彼女には追いつけなかった。
つわな奥展望台より
ほぼ1時間チョッとの上り坂を過ぎると快適な山道。山の風や音、景色等を楽しみながら気持ちよく歩いた。
つわな奥展望台からの眺めは残念ながら曇りで遠くが霞んでいて今ひとつ。残念。ここで10時半、一休み。
下りも結構早足で歩いたが彼女には追いつけなかった、峠を降りてようやく追いつき追い越した。
津島町に入り畑地あたりにさしかかった所で地元の農業祭りとやらをやっているのに出合った。
ここで、「お遍路さんも一緒にどうですか」と呼ばれたのでご好意に甘え、甘酒、猪汁、焼き芋をお接待していただきました。感謝。
甘酒は、美味かったです、思わずもう1杯と2杯続けて戴きました。
後から来た彼女も隣の席に座ってご馳走になっていました。彼女は此所へ来るまでにお接待でちらし寿司を戴いたとか。
その時に「もう少しゆっくり楽しみながら歩いたらどうかな、ただ急ぎ足で通り過ぎてしまうだけでは勿体無いよ」等と話した。
(・・まぁ人それぞれのお遍路なので余計なお世話だったかもしれんが・・早足だったのは山の中で女性が一人だったから警戒されたのかも・・。)
彼女は津島の宿までだからゆっくりしていくとの事なので先に出発。(私は満願寺までの往復もあるし・・・)
満願寺までのルートへの分かれ道にへんろ小屋があったので一休み。
ここでへんろ地図のルートを取るべきか判り易い4号線を行くかで迷った。遍路道の標識の色塗りをしていたら近くの方が見えて此の道(遍路道)は判りにくいし
距離もあるよと教えてくれた。地図を見ると確かに峠越えの道のようだった。
どちらを歩こうかと迷っていたので地元の方の話を聞き入れて津島の街中を経由することに決めた。
津島大橋を渡らずに直ぐ手前を右折して川沿いに地図を頼りに歩く。へんろ小屋から2時間ほどで番外満願寺に着いた。
偶然にもここの寺でも秋の催しをやっていて、満願寺の本堂でお抹茶と美味しい和菓子をいただき、紅葉を観ながら琴の生演奏も聞かせていただきました。
和菓子も色づいた沙羅双樹の木の葉の上に載せたとの事。何とも贅沢で優雅な気分に浸せていただいたひと時だった。
納経を済ませ和尚様から宿毛から宇和島へ向かうのに昔は3本のルートがあった事などを伺う事が出来た。そのうち一本は山の中の険しい道で今は跡形も
ないそうだ。
過去の遍路道に対してそれほど興味は無かったが話は面白かった。二重柿の話もあったっけ。
沢山の思いがけないお接待をいただいて、嬉しい1日だった。此処でもっとゆっくりしたかったが宿に入る時間が気になり、来た道を戻った。
川沿いの今夜の宿の前に着くと川原で彼女が宿の子供と楽しそうに遊んでいた。
声をかけて宿に入る、これからはゆっくり歩くことにしたそうだ。
今夜の宿も彼女と同じだったが食事は別々だったので話が出来なかったのが少し心残り。
明日は42番ぐらい迄かな、お天気が悪くなりそうなので少々気がかり。それと、苦手な松尾トンネルもある。
11月24日
6時半頃に朝食を済ませて宿を出る。やっぱり雨でまだ辺りは薄暗い、雨具を身に着ける。
松尾トンネルは避けて旧道を歩くつもりだったのだが、新しく地元の方たちがトンネルの
直ぐ近くから峠を越える道を作ってくれていると言う情報を得ていたのでその道を歩くことにした。
その道は、まだかまだかと気を揉んでいるうちにトンネルの直前まで来た。道の入り口はトンネルの入り口の直ぐ左隣にあった。
しかし、雨と時間が早いせいなのか全然明るくなってこない。案内標識に沿って此の道でいいのかと不安になりながらも石畳の道や林道を進む。
標識は要所々にあったので迷わずに峠の休憩所に着いた。やれやれ。
ここもへんろ小屋だった。丁度旧松尾トンネルの上の真ん中辺りなのかな?
まだ明るくなってこない、この小屋の場所だがもう少し開けたところにしないと昼間でも木々に覆われて薄暗いのではないかなぁ。
こういう場所はあまり陽が当たらないので直ぐに苔が生えたりして維持管理が大変だ。日陰の苔むしてしまった休憩所では腰を下ろしたくないのが
正直なところ。
峠を降りてきて後ろを振り返った、明るくなってはきたが小雨は止まず、まだ山は雨や霧で霞んでる。
宇和島の街中のお遍路でもあまり立ち寄る人も少ないのかも知れない番外霊場の馬目木大師に寄った。
前回は立ち寄ったかな?確かな記憶が無い。由来を読んでもあまりぴんと来なかった。お参りを済ませて別格の6番龍光院へ向かう。
宇和島城の傍を通っていくのだがここのお城はまだ中に入ったことが無い、時間が有れば寄ってみたいとと思いつつ時間に追われて通り過ぎる。
雨は降ったり止んだりの状態。龍光院のお参りも済ませ宇和島駅そばを通り41番龍光寺に向かう。
此のあたりは案内の標識も出ていて道に迷うことも無かった。クアライフ宇和島の前のコインランドリー横の休憩所で一休みしながら昼食のお握りを食べた。
上下セパレートタイプのレインウェアーを着ていたが雨で結構濡れて来ていた、ポンチョタイプのとどちらが使いやすいのだろう。
少し進んでお遍路小屋でも休憩。雨の日は屋根の有る休憩所があると有難い。
小屋の前に229度目の中務茂平氏の遍路石が有った。百回廻っただけでも凄いのに交通機関の無い時代に歩いての229回は驚き。
14時頃に41番龍光寺に着いた。途中務田で左に曲がる所を道路に旧の遍路道ですと遍路標識が出ていたので手前で左の山の中に入って峠の
ようになった場所を通過した。峠の上には神社のような所もあった。そこを下って行ったが標識が無くなっていた。
龍光寺は見えていたので適当に道の見当をつけて寺には着いたが、あの道はなんだったのかなぁ。本当に昔の遍路道だったのか・・・
歩きながら色々な事を考えていた、浮かんでは消えまた浮かんでくる取り留めの無いこと等を思い浮かべていたように思う。
41番から42番仏木寺までは広い舗装された道を歩く。残念ながらコスモスの花は咲いていなかった。此の道の歩道には春はチューリップ、秋はコスモスが
咲いている。一本道だしわかり易い。今夜の宿はこの道沿いの直ぐ右側の集落にある。
15時過ぎに41番に着いた。紅葉が綺麗だった。茅葺の鐘楼も良い感じ。しかし何となく気分は低調だった。本堂、大師堂で経を唱えた。
「くさもきも ほとけになれる ぶつもくじ なをたのもしき きちくにんてん」・・・何が心の中に溜まっていたのだろうか。
本堂でも大師堂でも涙が流れて止まらなかった、近くにお参りの人がいなかったら・・・。本尊は大日如来、しかし、弥勒菩薩とその時は思っていた。
山門を出て直ぐ前の休憩所で暫く休んだ。ここから今夜の宿までは直ぐ。16時頃に宿に着いた、初めての宿。主人が一人で切盛りしているのか、奥様が
出てこない等ユニークなお宿だった。
明日の天気が心配、今日のような雨ではまたまた濡れ鼠になってしまう。宿のエアコンを効かせて濡れた衣類や装備を乾燥させた。
11月25日
朝方は曇りで少しづつ晴れてきた。さっそく歯長峠の登りが待っている。此処の登りは鎖場もありきつい登りだと思われているが、杖も付かずに登れた。
峠で一休み。小屋の六地蔵様に経を唱え、近くを少し散策、石碑や遍路石を眺めた。
峠の下辺りでは造成工事をやっていた、山肌が露出して切り倒された雑木が遍路道沿いに置かれていた。
次の機会に此処を通れば建物でもできているのだろうか。
下りきった所にある休憩小屋でも一休み。橋を渡って広い道路を左折番外道引大師へ向かう。ここら辺りだがと捜すと見覚えのある建物があった。
中に入ってお参りを済ませる。中々ユニークなお地蔵様とお大師様がいた。
歯長峠にあった遍路石 道引大師堂
道なりに先に進み卯之町の街中に入る、高速道や新設の道路で迷ったが宇和高校側を通って奥の院白王権現の前まで。お参りしてから43番明石寺へ。
この季節は紅葉が見事だった。10時半頃に明石寺に着いた。
明石寺手前の紅葉
お参りを済ませ、卯之町の街中を通って伊予大洲まで。ほぼ一本道なので迷うことは無かった。
鳥坂峠への分岐点で又雲行きが怪しくなってきた。手前の小屋で一休み。雨具をいつでも出せるようにした。
遍 路 石 鳥坂峠のお地蔵様
峠を少し過ぎた所にあった日天月天様 手前の落ち葉 遍路道
札掛大師堂にも参拝したが、大分荒れていた。集落を通って56号線まで降りていく。別格の7番出石寺に向かわず、国道を歩いた。
特に印象に残る事なども無く大洲に入ったが、今夜の宿を決めてなかったので、街中の公園で電話して問い合わせた。
幸い松楽旅館で泊めていただくことが出来た。前回の宿は満員だとの事。ビジネスホテルはお遍路さんとの会話が無くて少々寂しいが一人きりになれるので
気楽といえば気楽だった。
11月26日
朝は靄に包まれて前が見難い。7時過ぎに宿を出た。8時半頃に別格8番十夜ヶ橋に着いた。空は雨模様から曇り空へ。
此の前通った時には通夜堂があったかなぁ、今回は手前に通夜堂が出来ていた。お参りをしようとして納め札を入れようと箱を覗いたらゴミが入っていた。
誰だー、こんな事する奴は、不謹慎な。ゴミを引っ張り出して外のゴミ箱に捨てた。ひどい奴がいるもんだ・・・。
納経も終わって暫し休憩していた時、ご詠歌を聞かせていただいた。まるでゴミ掃除有難うと言われたみたいで嬉しかった。
ご住職らしき方に何があるのか尋ねたら今日は松山でご詠歌の大会があるのでバスでここから出発するとの事だった。
偶然にしてもご詠歌を聴いたのは初めてで嬉しかったなぁ。
ここからは道標も沢山あり迷うことなく今晩の宿にたどり着いたのだが、宿の予約先を間違えていたという大失敗もありました。
先方にはよく謝り許していただきましたが自分自身が情けなくて少々落ち込みました。
宿を出て直ぐの頃 7:05 番外8番十夜ヶ橋(永徳寺) 橋の下のお大師様 26日16時頃の空模様
11月27日
今日は午後から天気が崩れるだろうとの天気予報だった。何とかなるだろうと宿を出た。
今回も突合を右へ鶸田峠越えのコースを選んだ、途中にある六地蔵に会いたかったからなのだが。残念ながら昔の面影は無くなっていた。
道は舗装されて広くて便利になったのだろうが、昔の道端のお地蔵様という風情が消えてしまっていた。本当に残念。
ここは昔のお地蔵様でいて欲しかった 上に出来たお堂 遍路石
鶸田峠 だんじり岩 大宝寺
落ち合いトンネルを過ぎたところで右折し忘れて少し直進してしまった。地図を取り出すのが面倒なので前歩いた記憶だけで歩いていたのだが、
当てにならないもんだ。
他にも考え事をしていたから標識を見落としたかな。少し戻って正しいルートに入った。三島神社でも少し休憩した。下坂場峠を過ぎ鶸田峠に13時頃着いた。
雨が少し降り出してきたが、一休みして昼食のお握りを食べた。後は久万の町に向かって下り坂。44番大宝寺に向かう。
14時半頃に寺に着いた。お参りを済ませ、暗くなってきている裏の峠道を今夜の宿を目指して歩いた。雨が本降りになる前に宿に到着。
今日は峠を三つも越えてきた、やれやれです。
明日は45番の岩屋寺から46番浄瑠璃寺までお参りする予定。
11月28日
昨夜から雨が降っていた。大降りではないがよく降っている。朝起きて雨が止んでいたので朝食を済ませて宿を出た。
帰りも此の宿の前を通るので余分な荷物は置かせてもらった。宿を出て舗装道路との分岐点を過ぎ八丁坂に向かって行こうとしたとき土砂降りの雨に変わった。時々雷もなっている。これは、山道は危ないと感じたので急遽舗装道路まで引き返し舗装道路を行くことに決めた。
土砂降りの雨と雷の中何とか古岩屋荘の前まで到着。雨が小降りになるか止むまでここで休憩することにした。
1時間ほどしたら雨も小降りになり雷も通り過ぎたようなので45番岩屋寺へ。
9時半頃に岩屋寺に着いてお参りを済ませた。雨は小降りだが降りやまず。こんな天気だったのでせり割り禅定へは行けなかった。
帰りは雹が降ってきた。びっくりした。宿に預けてあった荷物を持って久万の町に戻った。お久万大師堂にもお参り。
今から三坂峠から今夜の宿まで歩いて下るのはチョッと時間が足りない、古岩屋で1時間以上ロスをしている。止む無くバスで三坂峠まで行くことにした。
幸い、バス便はそれ程待つことも無くあった。三坂峠で降ろして貰って峠道を下る。下りの道はあんなに雨が降ったのにそれ程ぬかるんではいなかった。
雨も上がっていた。
46番浄瑠璃寺に16時に到着。お参りして納経を済ませた。宿はここの直ぐ門前。
初めての宿だったがお風呂が広くて気持ちよかった。洗濯機や乾燥機も有ってやれやれ。
岩屋寺 岩屋寺本堂 岩屋寺 納経所
三坂峠から 46番浄瑠璃寺
11月29日
お天気は晴れ時々曇りで歩くのには丁度良い天気だった。
ここからは47番から51番まで順調にお参りできた。51番石手寺で丁度お昼過ぎだった。今回はここで区切りとする予定だったが時間ができたので52番まで
バスを使って移動した。歩こうと思えば歩けたのだが、何故か気が向かなかった。
とにかく松山の街中を歩くのも嫌だったし、昨日の雨と雷で歩くという気力を無くしていた。
でも、少しでも前に進みたいという気持ちもあったのでバスを使うことにした。石手寺の前から松山駅まで移動し、乗り換えて太山寺行きのバスに乗った。
太山寺までのバス便は少ないようだったが殆ど待つ事も無く乗換えが出来た。
7:24 47番八坂寺 8:49 札始大師堂
9:21 48番西林寺 10:30 49番浄土寺
11:27 50番繁多寺
51番 石手寺山門 3重の塔
14:30 52番 太山寺 太山寺の化粧したお地蔵様
太山寺で面白いお地蔵様を見つけた、なんとお化粧をしていた。
15:46 53番円明寺 境内にある」キリシタン灯篭
今回は宿毛駅から40番観自在寺を経て53番円明寺まで。
前半はお天気にも恵まれ好調でしたが、後半はガタガタでした。でも、無事にお参りをさせていただきました。
お参りできたことに感謝です
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