10/31 | 金 | 名古屋発 高知行きの夜行バス | 宿 泊 | |
11/1 | 土 | 33番雪渓寺〜34番種間寺〜35番清滝寺 | 喜久屋旅館 | |
2 | 日 | 喜久屋旅館〜36番青龍寺〜BH西村 | BH西村 | |
3 | 月 | BH西村〜37番岩本寺 | 岩本寺宿坊 | |
4 | 火 | 37番岩本寺〜民宿日の出 | 民宿日の出 | |
5 | 水 | 日の出〜安宿 | 安 宿 | 土佐入野から伊豆田トンネル出口まで交通機関 |
6 | 木 | 安宿〜38番金剛福寺 | 民宿八扇 | |
7 | 金 | 民宿八扇〜下の加江〜39番延光寺 | へんくつ屋 | 下の加江からへんくつ屋までバス移動 |
8 | 土 | へんくつ屋〜土佐入野〜四万十川大橋〜宿毛 | 土佐入野から四万十川大橋を渡ったバス停まで歩き | |
9 | 日 | 宿毛〜京都〜名古屋 | 夜行バスと新幹線 |
34番種間寺 |
10月31日 前日までかかって出発準備を完了し、名古屋発20時58分発の新幹線で大阪へ。週末の新幹線自由席は超満員で京都までは立ちっぱなし、京都から少し空いたので通路に座りこんで大阪まで。年寄にはこたえる。この体調で歩けるのかな?少々不安が残る。大阪から23時発JRバスの高知行きに乗車。朝の6時少し前頃に高知着。 11月1日 高知市内のバス便を捜して何度も駅の近くをうろつくが、今回のお参りの始まりである33番雪渓寺までのバス便を見つけられなかった。仕方がないからタクシーで33番まで行く。タクシーで15分くらいかかったかな、初日の天気は良好でお参りを済ます。納経は夏に済ませてあるのでお参りだけしていこうと思っていた。6時になったら近所の人たちがラジオ体操を始めて少々とまどう。 納め札を入れようとしたら、なんと、錦のお札が一番上に有ったので戴いてしまった。 隣でお経を唱えてる方がいたのでたぶんこの方だろうと思い挨拶をして聞いてみるとやっぱり今回で132回目の方だった。錦のお札は88ケ所を100回以上廻った人が納める札でその功徳にあやかろうと厄除けのお守りにしている人も多い。 了解を得てお札を戴く。おまけに2000円もお接待を戴いてしまった。車でこの四国88箇所を100回以上廻るのも凄いもんだと思う。 気をよくして次の札所34番種間寺へ向かった。 ・・・・・・後で考えると今回の憑きはこれでみんな使ってしまったみたいだな・・・・・・。 天気もいいし今日は後34番の種間寺と35番清滝寺の往復だけだ。 田舎の畑道をのんびりと歩く。種間寺は平地にあるごく普通のお寺だった。 次の清滝寺へは仁淀川を渡る、四万十川程有名ではないが中々の清流だった。 仁淀川大橋を渡って堤防沿いを歩き、街中を通って山の中の坂道を登りみかん畑を過ぎ清滝寺に着く。お参りして納経所の前のベンチからもいい景色を見ることができた。 まだ今夜の宿を決めてなかったので宇佐の汐浜荘に電話するが満員との事で断られる。時間も早いし歩いた距離も短いので迷ったが麓の喜久屋旅館に泊めてもらう事にした。 清滝寺の帰りの階段で膝が笑い出す。日頃からトレーニングしてないのと、歩き始めは距離を歩きすぎると翌日に影響するので20K以下とした。 ここまでで19キロ程歩いた事になるかな。13時過ぎに喜久屋旅館に到着。 高知はまだまだ暖かいそうなのでフリースの上着を自宅に送り返す。朝晩は多少冷えるけど日中は暖かいそうだ。 今日の宿で明日の宿とルートを検討する。塚地峠越えかトンネルか迷ったが雨ならトンネル、晴れなら峠越えと決める。 宿で足をマッサージしてから昼寝をしてしまった。夜行バスでよく眠れなかったのと日頃の疲れが溜まってたみたい。 |
仁淀川大橋 |
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仁淀川大橋より |
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清滝寺の山門 |
11月2日 宿の朝食をキャンセルしてもっと早くからやってる喫茶店でモーニングを食べる。パンとコーヒーとサラダ、味噌汁までついてた。 6:00発で今日は34キロ程歩く予定。店を出る頃はまだ天気は曇り空だった、トンネルと峠道の分かれ目少し手前で雨が降ってきたのでポンチョを着てトンネルを目指す。 トンネルの長さは約1キロで歩道と手摺りもあるしこれなら大丈夫と思ったがやっぱり真中当りで気分が悪くなる。急いで歩いたが異様な圧迫感を感じてますます気分が悪くなる。途中電灯の切れていた所が有って気味が悪くなった。目眩を起しそうになったので必死になって通り抜けた。 トンネルを抜けると海が見えて気持ちが落ち着く。しばらく歩いて海岸線に出て宇佐大橋を渡る。 浦戸大橋よりは歩道の幅も広くまた、高さも低かったので歩きやすかった。 途中で36番を打ち戻ってくる一人歩きの女性遍路に出会う。36番青龍寺にお参りする。納経所の近くで車の接待を誘われたが断り歩く。普通お遍路はお接待を断ってはいけないのだが車に乗ると歩いてきた事が無意味になるような気がしてしまうので歩けるところはなるべく歩くようにしている。 さて、次の37番岩本寺までのルートを浦ノ内湾沿いの横波三里と決め、来た道を戻り橋を渡って左折する。雨は小雨で降ったり止んだりしていたがそのうちに上がった。横波分岐の手前の船溜まりでお昼のパンを食べる。パンを千切って海に落とすと魚が寄ってきて食べていた。魚影が濃い。 昼食が終わって5分も歩かないうちに接待所があって地元の方が接待してくれた。 雑談しながらお茶とおいしいおはぎとみかんを戴く、ありがたし。 横波分岐で佛坂峠越えか国道の鳥坂トンネルを行くかで悩んだが雨なので国道とする。 また雨が降ってきたし足の調子が悪い。どうやら右足に豆が出来てきたみたいだ。 雨の日は荷物を下ろして休憩できる所が非常に少ない。休めないから歩くピッチは上がるけど疲れる。途中何度も地元の方に道を尋ねたがみなさん親切に教えてくれてありがたかった。 段々肩と腰と足が痛くなってきた。ようやく15時頃にJR大間の駅について屋根つきのベンチでゆっくり座れた。今日の宿はここから直近くだ。 今日の宿はビジネス旅館西村だ、予定していた旅館が取れなかったのでここになった。素泊まりのみで夕食は近くのコンビニで調達するか付近の食堂で食べる。 宿に着いたら服を着替えて早速今日の服を全部脱いで洗濯する。それから足の点検とマッサージ。右足親指の下と中指の爪の下の豆を針で潰して中の水を出し赤チンを染み込ませる、結構痛かった。明日の宿の予約とルートの検討。それが終わってから風呂に入って外食した。 |
35番清滝寺 |
11月2日の朝が開けるところ |
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もうすぐ宇佐大橋 |
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36番青龍寺山門 |
焼き坂遍路道の標識 |
11月3日 6:15分頃ビジネス旅館西村をでる。 朝から雨が降っている、昨日も雨だった。NHKでは昼から上がるようなことを言っていた。 とにかく39番へ行くのに雨が降ったらトンネルで降らなかったら遍路道を行くことに決めていたが、雨模様なので国道のトンネルを通ると決めて歩き出す。 途中番外の大善寺に立ち寄ろうと思っていたが雨で時間がかかると思い中止した。 須崎の歩行者トンネルのある所で高松からきた御夫婦と一緒に歩く。 ここは車道以外にも歩行者や自転車用に専用のトンネルがあるという珍しい所だった。 このご夫婦はグループで88ヶ寺を回って歩いているとのこと。今日は焼坂峠道を歩くそうなので一緒に連れて行ってもらう事に決める。 トンネルは塚地トンネルで懲りていてできれば通りたくないと思っていたから渡りに船の思いだった。 峠道に入って登りの30分は結構きつくて足が思うように上がらなかった。 メガネが熱気で曇って汗が滴り落ちる。時々眼鏡の曇りをタオルでぬぐう。吐く息が白くなってる。 上りきってしまえば後は下るだけなので楽だった。さっきまでの登りの辛さも忘れて雨の山道も情緒が在ってなかなか良いな等と思う、我ながらげんきんなもんだ。 下りの道は倒木や部分的に道が崩れていたりしていたが全体的に良い雰囲気の道だった。 ようやく国道との合流点に着いた。ここで雨がまだ全然止まないのでJRで窪川(37番岩本寺)までいくか、そえみみず遍路道か奥大阪ルートにするか、どうしようか迷っていた。 JR土佐久礼駅で荷物を降ろして大休止。随分迷ったが結局歩き通すことにした。 ルートは奥大阪もそえみみずも止めて国道にする。 駅で夫婦と別れた。彼らはここから電車で帰るそうだ、高松にきたら寄ってくださいとの事、納め札を駅で交換した。夫婦で歩けるのはいいなぁ、羨ましかった。 相変わらず霧が濃いので山道で迷ったら大変だ。こんな雨の中他の歩きの遍路には誰にも会わなかった。ここから七子峠までの6キロの登りが随分長かった。雨と霧と車、それに歩道のないトンネルに悩まされながら黙々と道路脇を歩く。結構高いところを歩いているらしい、雨と霧で廻りの景色が見えない、天気が良ければさぞかし眺めがいいだろうと思う。 七子峠まで後何キロの看板を励みに殆んど休憩無しで歩いてお昼頃にようやく峠に着く。峠の食堂でうどんを食べた、生き返ったようだった。 丁度食堂を出たところで後から来た方に会った、やっぱり国道を歩いてきたそうだ。 後は、岩本寺を目指して一目散に歩いた。途中に結構いい景色の道も有ったと思うが、日暮れ前に何とかお寺に到着。納経して宿坊へ行く、今夜はお寺の宿坊泊まりだ。 着いて宿坊の方に思わずビールを下さいと言ってしまった。 食事時にも飲んだので都合2本も飲んでしまった・・飲み過ぎ(^^; とにかく疲れた一日だった。 |
焼坂峠の頂上?ここからは下り |
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厳しかった七子峠の 頂上までの道 |
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山間の田圃道 |
ようやく岩本寺 | 岩本寺山門 | 雨の中、37番岩本寺 |
11月4日 昨日の夜、宿坊の方が「明日は雨が上がりますよ」と言っていたように雨は上がった。 6時前に宿坊を出発。濃い霧と夜明け前なので前が良く見えない、道路の街路灯の明かりを頼りに歩く。昨日の七子峠よりはましだと思いつつ歩く。霧が上がってよく見えるようになったのは8時頃からだった。道は段々と川に沿って下っていく峰ノ上の集落の遍路道を通る。集落内の神社で朝食をとり休憩する。久々の遍路道で気分も違う。 旧国道の熊井トンネルを通って土佐佐賀へ、トンネルを抜けたところで地元の保育園の園児と保母さん達に出会う。「あ!、お遍路さんだ」って声があがって挨拶してくれる。私も大きな声で挨拶を返す、みんな元気だ。 佐賀町の食堂で昼食をとって元気回復やっぱり海がいいな。海岸沿いの道をずーっと歩く。 白浜の消防署辺りで女性の歩き遍路を挨拶して追い越す、かなり疲れていたようだ。 歩道でアケビ取りをしていた地元のおじさんから2個のアケビを戴いた。さっそく割れていた方のアケビを食べる。上品な甘さだ。残りはザックに仕舞って後日食べる事にする。 いろんな道が有るけどやっぱり海沿いを歩く道がいいな。結構歩いたので灘の休憩所で一休み。 休憩してると、追い越した女性遍路がたこ焼き屋の前で止まった、たこ焼きをこの休憩所で食べるのかな? 15時頃に今日の宿に着く。思っていたより到着が早かったので部屋に上がって一息ついてから海岸に夕日を見に行った。しばらく海風に吹かれていたが残念ながら夕日は雲に隠れてしまって見れなかった。又、部屋に戻り洗濯やら足の手入れやらをして、明日のルートについて思案する。 この11月に海辺でアイスクリンを売っていたおばさんの話しを思い出す。「11月でも売ってるの?」って聞いたら「冬でもアイスクリンは売れるよ、固定観念を持ってもいけないしこだわってもいけないよ」とか言ってたっけ。 うーん明日のトンネルは長さが1.6キロもある、歩いて通る勇気がないなぁ。1キロの塚地トンネルでさえすごーく気分が悪くなったのを思い出す。なんとかなるさと思い直しとりあえず入り口まで行ってから考える事にする。 それよりTVの天気予報を見てたら又明日から雨らしい。また雨か〜 |
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熊井トンネル入り口が大きくて 出口は狭い・・・ |
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熊井トンネルの歴史 |
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ようやく佐賀の海だ |
佐賀の町を振り返る | 土佐西南大規模公園の1画 | 何処だっけ? |
11月5日 |
安宿で7時前、まだ暗い |
11月6日 朝はやっぱり雨・・・覚悟を決めて7時前頃に宿を出る。出るときに宿のおばあちゃんからみかんとお菓子の接待を戴いた。 昨晩に話していた窪津の大漁屋という店のお昼の寿司が楽しみだ。早く行かないと地元の人たちでみんな売切れてしまうらしい。 大岐の浜近くで女性ばかり3人グループに追いつく。みんないい年のおばさん達だった。挨拶をして追い越し屋根の有る雨の当らない倉庫で一休みした。3人グループは雨の中を休まずゆっくりと通り過ぎていく。晴れていれば大岐の浜は砂浜を歩いて行けるのだが雨なので国道を歩いた。 またまた3人グループに追いついて挨拶して追い越す。このグループはこれ以後会えなかった、何処か途中の宿で泊まったのかな。 雨の日は休憩できるところが少なくて歩く距離は伸びるが疲れる。 ようやく以布利の魚港に着く。漁港で民宿旅路の女将さんに出会う、以布利分岐までお客さんを送っていってきたとか。海沿いの遍路道は雨でぬかるんでいるが通れるとの事。 遍路道から舗装道路に出て左折し窪津漁港へ向かう。 大漁屋に着いて寿司を捜すがなくなったとの事。残念じゃー。餡餅を買って市場の下で雨を避けながら餅を食べる。柔らかくて美味かった。ここで一休みして靴を脱いで靴下を絞る。 橋を渡って急な登りの遍路道に入り上まで行くとッ眺望が開けた所に出た、天気がいいともっと良かったのに。 遍路道の両側に椿の木を沢山見るようになってきた。足摺遍路道や舗装道路を通って津呂の集落へ。ここからは今日の目的地まで後5キロ前後。途中で無料遍路接待所が会ったのでここでも一休み。もう直ぐ着くというときに帰りらしきお遍路に出会って挨拶する。 もうすぐですよとのことだったので気がはやる。いよいよ四国の最南端足摺岬だ。1キロも歩かないうちに到着した、公園にジョン万次郎の銅像が立っていた。 ようやく金剛福寺についた、久しぶりの納経だ。雨で濡れていて荷物を降ろす所が無いので納経所の中に置かせて戴いた。雨のせいなのか参拝者は少なくゆっくり納経した。歩いているからと言う事で納経所でタオルを戴いた。 今夜の宿の民宿八扇に向かう、後300メートルほど行った所にあった。雨は納経が終わった頃に止んでいた。 足元は汚れてドロドロで濡れているため玄関先で靴の手入れをしてから部屋に上がり着替えてすぐに服や下着の洗濯した。 洗濯物を部屋で乾して足の手入れをして海を見に行った。疲れていたので灯台までは行かずに白山洞門を見てきた。海まで結構高低差があり上り下りが疲れた。夕日は曇って来ていたので見れなかった。帰ってきて風呂に入り食事になったがこれがまた今までの民宿の中では最高の御馳走だった。またまた、ここでもビールを2本も飲んでしまった。 ここでは歩きの遍路は私一人で交通機関を利用している遍路の方と、隣のホテルが満員だとかで泊まれなかった巡拝バスの運転手とガイドの2組が一緒になって雑談に花を咲かせた。運転手のほうは2人とも痩せているのにガイドさんは2人とも太っていて何となく可笑しかった。食事が終わって部屋へ戻り明日のルートの検討をする。宿の親爺さんに相談に乗ってもらったがいい方法が思い浮かばないので結局来た道を戻る事にした。(大月回りにするか迷った)ようやく明日は天気が良くなりそうだとのこと。やれうれし。 |
雨模様 |
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あしずり遍路道の標識 |
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大岐の海岸 |
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以布利の海岸沿いの遍路道 |
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無料接待所(自炊で泊まれる) |
ジョン万次郎の銅像 金剛福寺本堂 白山洞門 |
11月7日 7時前に宿を出るが天気は曇りで霧が濃く出ていた。昨日濡れた靴は新聞紙を硬く詰めて3回ほど入れ直したら結構乾いていた。 昨日歩いてきた道を黙々と戻る。途中で無料遍路接待所で一休み。今日は窪津の店に寿司があったので寿司の詰め合わせを買う。300円なのに結構量が多い。 少し歩いたところで白浜の消防署前で会った女性遍路に出会い道端で休憩を兼ねて少し雑談した。通し打ちで88ケ所と別格の20ヶ所を廻るとの事、38番の手前まで来て約10キロ痩せた後何キロ痩せられるだろうとか灘の休憩所でたこ焼きを食べたけどお昼用に買ったパンが賞味期限が過ぎてて食べられずに腹ペコだったとか、お互い頑張りましょうと言って分かれた。 そろそろ、歩く事が嫌になってた私としては彼女は強いなぁって思った。 今日は天気がいいので大岐の砂浜を歩く。砂の上を歩くのは疲れるが海と風が気持ちよかった。 今夜の宿をどこにするか迷ってたが予約していた安宿には思ったより早く着きそうなのでとりあえずキャンセルした。下の加江からバスに乗って宿毛の39番延光寺に行く事にした。幸い今夜の宿の予約も取れ、バスも宿毛行きに乗れたので直行した。宿に着いたのが16時過ぎで荷物を置いてからゆっくりお参りした。ここも17時ぎりぎりに大型バスが2台着いて納経所は忙しそうだった。これで今回の予定は全部廻ったわけだが明日天気がよければ歩き繋ぎのためにまた土佐入野に戻ってせめて四万十川大橋まで歩く事にする。 今回バスで歩き飛ばしたところは別ルートで歩くか次回に繋ぐ予定、ただしトンネルはパスする。 今夜の宿は「へんくつ屋」といって変わってるのは名前だけかと思っていたら手作りの岩風呂があったりでかなりユニークな宿でした。 同宿者は3人でみんな歩きの遍路ばかりだった。70を越えたおじいさんと私と20代前半頃と思われる若者で、驚嘆したのが若者の荷物の少なさだった。作務衣と白衣小さな袋とずたぶくろそれに地下足袋の装備で一日山の中を歩いてきたとの事。水も非常食も着替えも持たずに歩いているとの事でその若さと体力と心の強さには感心してしまった。竜串から三原村を経由するルートは山の中を一人で歩くので孤独感で堪らなくなるんだけど強いなぁと。私もこれから荷物を最小限にしようと思う、なるようになるって割り切って装備を切り詰めよう。 |
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大岐の砂浜で |
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39番延光寺山門 |
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朝靄の中 |
11月8日 TVの天気予報では朝からいい天気だそうだが、相変わらず早朝は霧が出て前が見にくかった。 街路灯の明かりとアスファルトの舗装道路を目印にして平田駅まで歩く。 昨日決めたように土佐入野から四万十川大橋まで歩き繋げる。平田の駅で余分な荷物を預かってもらい、今夜宿毛から京都に行く夜行バスに乗る予定。 入野の駅を降りて街の中を走る国道56号線に沿って古津賀分岐まで歩き、左折して四万十川へ突き当る。堤防沿いを四万十川大橋まで歩いた。 橋は木曽川や長良川を知ってるせいかそれほど大きな橋だとは思わないが水は断然綺麗だった。 屋形船も行き来していた。堤防で景色を眺めながらしばしのんびりとすごす。 橋を渡って対岸まで行き、宿毛行きのバスで荷物を預けてある平田駅まで戻りさらに電車で宿毛へ行った。 今回のまとめ 37番から38番までの距離が長かった。そして歩くのがこんなに嫌になるとは思わなかった。 原因は雨とトンネルそれに加えて装備が重たかった事、日頃のトレーニング不足等が原因か?。11/1日〜11/8日までで雨の降らなかったのは1日、4日、7日、8日の4日間で半分は雨だった。 お接待はいろいろ戴いた、高知の方はみんな親切だった、感謝。 今回はトンネルをバスで通過して歩けなかったって事と下ノ加江から延光寺までの道も歩かなかった事に悔いが残る。 次回はトンネルは無理でも歩けなかったところは歩き繋ぐつもりだ。 |
四万十川大橋 |