月日  行 程  宿  泊 備考
   4/24 名古屋〜京都(新幹線) 京都〜宿毛(夜行バス)
    25 土佐中村〜下ノ加江〜三原村 いきいき三原会 
26 三原村〜39番延光寺〜一本松町 大盛屋 
27 一本松町〜40番観自在寺〜内海村柏 旭屋旅館 
28 内海村柏〜別格6番龍光院〜宇和島 クアライフ宇和島 
29 宇和島〜41番龍光寺〜42番仏木寺〜43番明石寺〜宇和町 宇和パークBH 
30 宇和町〜別格8番十夜ヶ橋〜内子町大瀬 喜楽苦 
 5/ 1 内子町大瀬〜鶸田峠〜44番大宝寺〜久万町 民宿笛ヶ滝 
2 久万町〜45番岩屋寺〜久万町 民宿一里木 
3 久万町〜46番浄瑠璃寺〜47番八坂寺〜別格9番文殊院
〜48番西林寺〜49番浄土寺〜50番繁多寺〜51番石手寺〜道後市内
道後BH 
      4 道後市内〜52番太山寺〜53番円明寺〜名古屋


三原村への道
4月24日
今回は39番から松山市内に入るのが目標で苦手なトンネル(松尾トンネル)はバスで通過する予定だった。
本来なら23日の金曜日夜の便にしたかったのだが外せない行事が入ってしまい24日の夕方名古屋の自宅を出る。
新幹線で京都まで行き、京都から四万十ブルーライナーという近鉄バス系の夜行便で宿毛の一つ手前の土佐中村駅まで。ここから昨年秋に区切った下ノ加江のバス停まで足摺岬行きのバスに乗り換えて行く。
4月25日
下ノ加江のバス停には9時に到着した。
お天気は上々で気分良く歩けそうだ、さて、気を引き締めて歩く ぞーっと。
三原村までの道は特に激しいアップダウンもない山の中の舗装された川沿いの静か な道でした。車も少なくて時々出会う程度。集落も少なかった。途中にあった竹製 の遍路小屋は少々座り心地が悪かったがここで昼食をとった。
特に変わった事も無く今夜の宿に14時30分頃到着。
到着したとき宿には誰もいなくてしばらく外の休憩所で備付のお茶を戴いて休息。
15時頃に宿の主人は仕事の都合で不在とかで近所のおばさんが2人きて食事や風呂の世話をしてくれた。
風呂と食事の用意ができるまで地元の話や明日の天気今日の宿泊予定者の事とかいろいろと雑談する。
朝食はお世話できないのでお握りを作って戴けることになった。
明日の昼食と飲み物を買いに近くの食料品店に行く途中、田圃の畦道で青大将をみた。蛙を狙って現れたのだろうか?今年になって始めて見た。
食料品店ではおにぎり類は無かった、ジュースを買って宿に戻る。
夕食が終わっておばさんたちが帰ってしまってから宿泊を頼みに来た歩き遍路がいた。
携帯で主人に電話して強引に宿泊の了解を得たようだが、風呂から上がって
勝手に事務所のTVを付けて見ていた。我儘勝手なこういう輩は好かんなぁ。

休憩所

いきいき三原会

4月26日
ここ、三原村の役場辺りは山に囲まれた地形なので明るくはなっているがまだ陽は射していない。
澄んだ空気が気持ちいい、今日の天気は午後からは崩れてくるみたいだと昨日のおばさん達が言っていた。少しペースを上げて午前中には宿毛の街を抜けられるように歩くつもり。
6時頃に宿を出発、途中で牛が放牧されていた。ダム湖とトンネルを潜り平田の街中に入る、ここで逆打ちの野宿遍路の方と会って少し話した。
三原の集落までの時間と下ノ加江までの時間を聞かれたのだが、三原までは登りだから2時間くらいで三原から下ノ加江までは3時間半ぐらいかなぁと答えた。
しかし、後になってよく考えてみると下ノ加江までは私は5時間ぐらいかかってた。もっとよく考えてから返事をするんだったなぁ・・・。この後、このことがずーっと心の中に引っ掛かっていた。
予想通りこの日は夜になって雨に変わったので尚更気にかかった。
どこかに無事に着いたか、この雨風の中まだ歩いているのだろうかとか・・
9時頃延光寺に着く。納経はせずに打ち始めの挨拶をして寺を出る。
寺を出てからの遍路道表示が無くてそれらしい道を歩いて国道に出る。
宿毛の街に入る直前の喫茶店で休憩しトイレを拝借した。
何処かのコンビニで昼食を買おうと思ってそれらしき建物を捜すが見あたらなかった。やむなく通り沿いの雑貨屋さんに入るが有ったのは今日が賞味期限のパンだけで、お握りは無かった。
仕方がないからパンで我慢するかと思って購入しようと思ったら、お接待しますとの事で飲み物まで戴いてしまった。
有難うございますと言って納札を渡す。ここで、南無大師遍照金剛と3回唱えて納札を渡すのだが、お接待されると何か照れくさい(;^_^A・
街中を抜け、遍路札や遍路のマークを捜しながら貝塚を過ぎ山道へと入っていった。
小深浦、大深浦を過ぎ何度か小さなアップダウンを繰り返して子安地蔵へ着いた、11時20分。
ここから松尾峠の約50分の急な登り道がある。まだまだ青空が残っているが雲が多くなってきた。
久しぶりの急登に息が切れる、汗も出てきて苦しい。一歩一歩確実に歩みを進める。
何とか松尾峠の茶屋後に到着12時30分。ようやく高知県の県境を越えた、ここからは愛媛県だ。
愛媛側は快適な山道だった。ゆるゆると尾根を下る。13時35分に舗装道路に出る。
14時30分今夜の宿大盛屋さんに到着、早速、洗濯と足のマッサージをして風呂に入る。
ここで、今回何度か同行して戴ける方と出会う。一人は愛知の方でもう一人は神戸の方だった。愛知の方とは前日の宿でも一緒だった。
16時頃から雨が降り出す。ベランダに干してある洗濯物が乾くだろうか?心配だったが雨に濡れないように部屋の中に入れる。
夜は大荒れの天気になった、部屋のベランダ側に雨風が当ってくる、気になったので雨戸を閉める。夜中は雨風強し、警報まで出る。           
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牛が放牧されていました
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松尾峠の休憩所より

松尾大師堂

左高知県 右愛媛県


40番観自在寺
4月27日
6時半頃に食事が終わる。天気が回復しなければもう次の宿に予約してあるのでバスで行っても良いかなと思った。神戸の方は7時頃には出て行かれた。9時頃まで雨の止むのをゆっくり待つつもりだったが、愛知の方と相談して8時頃に宿を出る。風は強いが雨は小降りになる、山の中の舗装された道には折れた小枝や風で飛ばされた枯葉などが散乱していた。連れができたのは心強かった。
今日は距離が短いのでのんびり歩く。お昼はうどんが食いたくて店を捜す。
12時頃に観自在寺に到着。今回初めて納経してもらう。自宅で写経もしてきたのでそれも本堂と大子堂に納める。観自在寺のある御荘町は30年程前に友人の結婚式で来た事があり、再会できる事を密かに楽しみにしていたのだが友人は山口へ引っ越してしまっていた。
30年も会っていなければ仕方がないなぁと諦める。
少々ガックリしながら国道56号線を今晩の宿がある内海村目指してトボトボ歩く。
雨は上がって風が強く吹いていた。途中のドライブインビーチや内海リゾートホテルは休業しているみたい。この国道沿いの他の店も休業しているところが多かった。
柏の旭屋に着いたのが14時30分。この宿でも前日の宿と同じメンバーに会った。
この宿では5人が一緒に夕食を食べた。夕食の味噌汁の具に亀の手が入っていた。
釣りに行くと時々岩の間に姿を見たことがあるが、食べるのは初めてだ。
磯の香りが強く結構珍味だった。
亀の手→http://www.marusui-net.co.jp/bk/gumboots2/nikki020624/020627.htm
食べながらいろいろ情報交換をするのだがマムシの話しになってこれからの時期はマムシも出ることも有るそうで、多少不安になる。マムシには会いたくないなぁ。
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宿毛の海

4月28日
6時に朝食、7時頃4人で宿を出る。今日は天気が良い。
村の中の道路を少し歩いて柏峠への山道に入る。
暫らく一緒に歩いていたが歩くペースがみんな違うので其々のペースで歩く。
この柏峠はトイレや休憩所も整備されており又、展望台からの宿毛湾の景色も
良く辛い坂道を登って来たのが報われる思いだった。
10時頃には満願寺への分岐点まで到着。国道56号線沿いの川を歩き11時頃には喫茶店兼食堂で早い昼食とした。ここでじゃこ天うどんを食べる、旨かった。
国道の松尾トンネルを通るか、バスにするか、はたまた、連れの方と一緒に旧松尾トンネルを通過するかでいろいろ迷う。分岐点直前まで気持ちが定まらず。
結局、連れの方と一緒に旧松尾トンネルを歩く事にする。やっぱり歩くのがベストかな。バスで通過して後で伊豆田トンネルみたいに悔いを残しても嫌だった。
旧松尾トンネルは500メートルくらいで出口が見える。トンネルの中は所々灯りが切れてたりして気持ちの悪いところも合ったが同行者がいたおかげで何とか通過できた。
連れの方に感謝、私一人だとバスで国道のトンネルを通過したと思う。
悔いが残らなくて良かった。本当に有難うございました。
宇和島市内を歩き、16時頃別格龍光院に到着してお参りする。
ここで別格だけの納経帳と念珠を購入。88ヶ所を全部廻り終えたら次は別格だけのお参りを計画中で電車やバスを使って行くつもり、でもいつになるのかは未定。17時にクアホテルに着く。ここの宿はお風呂が広くて温度も適当で良かった。一日の旅の疲れがお湯に溶け出していくようだった。

柏峠への遍路道
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展望台からの眺め 

 4月29日
朝食を抜いて6時15分に宿を出た。お天気は晴れて上々。
県道57号線に沿ってJR予讃線の務田駅で左に曲がり41番龍光寺前の食堂に8時頃到着して朝飯のうどんを食べる。
ここから43番の明石寺までは食事するところが無いと本に書いてあったのでこの店で昼食用にぼた餅のパックを買う。ここの長命水は有名なんだそうだが私には普通のお水であった。
41番のお参りを済ませて42番仏木寺へ向かう。
41番から42番へ向かう道路には歩道がついていて春はチューリップ、秋にはコスモスが沢山植えられているそうだ。残念ながらこの時期にはもう見られなかった。
1時間も歩かないうちに42番仏木寺に着く、ゆっくり参拝して次の43番明石寺へ向かう。
遍路標識に従い広い舗装道路から外れて峠道に入る。
鎖場がある程の急な登りがあるという歯長峠越えだ。山道に入る所に杖が数本立掛けてあったので1本を拝借する。坂道は杖があると歩くのが楽。
有名な(笑)「苦を取るか楽を取るか」の遍路標識は見当たらなかった・・見落としたのかな?鎖場は確かに合ったけどそれ程の難しい登りじゃなくてあっさり登りきってしまった。
峠に着いてザックを降ろしぼた餅を食べる。お地蔵様にもお裾分け。
峠を下って麓の歯長地蔵のところで小休止、丁度12時になったので残りのぼた餅を食べる。
橋を渡って左折し道引大師にお参りしてから43番へ行くが、途中で道に迷う。
地元の人に道を尋ねながら43番明石寺をお参りし裏山の遍路道から宇和町卯之町の街中を通って今夜の宿、宇和パークホテルへ15時40分に着く。
街中は何かのお祭りなのかお巡りさんが沢山出ていました。
途中の公園で一休みした時に孫らしき子供を連れたおばあさんからヤクルトの接待を戴いた。感謝。
ここの宿は洗濯機と乾燥機も有ったので着ている物まで全部洗濯した。
夕食の時に26日の一本松の宿であった神戸の方とまた会った。
明日は別格7番出石寺に行かれるとの事。私も出石寺には行きたかったのだけれど今回は日程の都合で行かない事にした。「名古屋歩き遍路の会」の人にも会った。
食事の後近くのコンビニで明日の朝食用のお握りとお茶を買う

41番への道

42番への道

42番仏木寺
     
               歯長峠の遍路石           導引大師            43番明石寺


鳥坂峠で
4月30日
今日は12時間ぐらい歩く予定なので早立ちする。今まで歩いた事の無い距離を歩かないと今夜の宿に着かない。
去年の夏の炎天下に34キロ歩いた時は倒れる寸前だった様な...
今度は38キロどうなる事やら先行き不安。
5時15分に宿を出る。ほぼ国道56号線に沿って歩く。6時05分、瀬戸という集落の集会所前で一休み、暫らく歩いてトンネルを避けて鳥坂峠への遍路道に入る。
峠を登りきった所で日天月天さんを祭ってあるところを通過。大洲の町を眺められる場所で小休止。近くでシイタケ栽培用の木を加工している所を通過。
札掛大師堂をお参りしたが今は納経はしていないとの事。...トイレを借りたかったのだが我慢して先を急ぐ。
8時45分、下の国道に降り開店前の喫茶店に入ってトイレを借りる。
アイス珈琲を飲んで9時発。大洲の街中に入り肱川の橋を渡る手前の商店街で地元のおばあさん二人からお賽銭にしてくださいと200円の接待を受ける。
納札を渡そうとするとお札はもう沢山戴いたからいらないとの事。二人のおばあさんを見ていて私が小学生の頃に無くなったやさしい祖母を思い出してしまい胸が詰まる。涙目を傘で隠して橋を渡った。
トボトボと国道沿いに歩いて別格8番十夜ヶ橋にお参りする。橋の下のお大師様にもお参りした。13時頃昼食に豚太郎でラーメンを食べる。JR五十崎駅近くから静かな遍路道に入り内子の街に入る。内子座が遍路道のすぐ近くだったので少し寄り道する。連休中なので人出が多く遍路の姿をしていると観光客にじろじろ見られているようで気恥ずかしい。写真を撮ったら早々に通過した。道の駅でトイレを借り県道379号線に入ったが、道の駅で遍路が托鉢をしてた。「(´へ`;ウームワシには真似できんなぁ・・
県道に入ると車が少なくなった。小田川に沿って舗装された道をトボトボ歩く。
お遍路無料宿を過ぎ和田トンネルを15時40分通過。通常だとこの時間には宿に着いてるがなぁ等とぼやきながら歩いた。
大瀬の集落を過ぎ河口橋を16時20分頃に通過。バス停で休憩していたら犬の散歩中の地元のおじいさんと会い、暫らく話しながら歩いた。随分気がまぎれたが何を話したかよく覚えていないが、昔は鮎が沢山取れたとか新しい道が整備されたのはいいが自然が壊されたとかいう話をした。
千人宿大師堂、楽水大師堂を過ぎて漸く17時20分に民宿喜楽苦に着いた。ほぼ12時間歩いた事になるがまだ歩けそうだ。体力より気力で歩く距離も決まるのかなぁ。
喜楽苦は民家を買い取って民宿にしたとの事、隣の山田商店という豆腐屋さんがオーナーだそうだ。ここで5人の歩き遍路に会う。大阪から来たという夫婦(旦那さんはアメリカ人で奥さんは日本人)と長野から一人できた女性とまたもや名古屋から来た方そして私の5人、名古屋からの方は少し遅れて到着した。この名古屋から来た方とは十夜ヶ橋で会ったのだが、写真を撮らせてくださいと頼まれたが断った方だった。
風呂を終わってから夕食の時いろいろ情報交換をしたが話題が多すぎて何を話したか覚えていない・・ビールを飲んで酔っ払ってました。σ(^_^;)…

十夜ヶ橋のお大師様

内子座 


民宿 喜楽苦
5月1日
今日は大阪からの御夫婦と長野からの女性と私の4人で下坂場峠、鶸田峠経由で久万の町まで行くことになった、愛知の方はゆっくり後から出発されるそうだ。朝食にお握りとあげだし豆腐を戴いた、できたて豆腐はほんのり甘くて美味しかった。
突合い分岐を左に折れて舗装された旧道を歩く。歩くペースが違うので私は少し先を歩く形で4人が進む。
よく晴れた早朝の道路は車も少なくて新緑が気持ち良い、そういえば
山間に入ると必ずどこかで鶯の鳴き声が聞こえる。名古屋ではめったに聞けない。

田渡の集落の観音堂で朝市をやっていた。お参りしてから朝市を見物し、傍の休憩所で一休み。長野の方が今日は古岩屋荘で宿泊予約をしているそうなので久万町までは歩くペースの早い私と一緒に行く事になった。大阪からの御夫婦は風景写真を撮りながらゆっくり歩くとの事。昨日の喜楽苦のご主人の話に拠るとこのルートだと約6時間ぐらいで久万町に着き一番時間がかからないとの事。
暫らく一緒に歩いて三嶋神社で休憩した。拝殿に絵馬が掛かっており何の絵なのかなぁ?大きな杉の木が在るけど何年ぐらい経っているんだろう?とか話をしながら写真を撮っていたりしている所に神主さんらしい方が現れたので少し話をした。内容はこの神社の歴史とかを主に話したのですが平安時代からの歴史がある由緒ある所だそうで・・人柱もあったとか、ここで野宿はチト怖いかも・・・杉の木は樹齢400年ぐらいだとか。

下坂場峠と鶸田峠も過ぎてお昼には久万の町につけた。鶸田峠への道は高原の別荘地の中を歩いているようで山の中の遍路道らしき風情は感じられなかった、間伐材の伐採もやっていたので遍路道らしい風情は損なわれていた。
久万の町で道を聞いた方から旨い鮨屋があると教えていただいたので昼食にお鮨を食べた。まだ、時間に余裕があったので宿には寄らず大宝寺にお参りして納経を済ませた。長野の方とはここでお別れしたが無事に古岩屋荘まで着けたかなぁ。ここからだと後3時間ほどはかかりそうだ。14時頃に民宿笛ヶ滝に到着、いつもの宿での作業である洗濯と足のマッサージをする。この宿はワンルーム形式になっていて自炊もできそうだった。
ここでの夕食は1階の食堂にみんな集まって食べるのだが殆どの人がお遍路さんのようだった。歩きの方も後から到着した方達を入れて7人ぐらいだった。料理は雉鍋が付いていて美味しかった。食後、部屋で明日の天気予報をTVで見たら曇り時々晴れらしい、雨じゃなくてよかった。         
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お地蔵様

三嶋神社の絵馬


八丁坂の峠

行場の上の祠

祠から見た景色

45番岩屋寺
5月2日
今日は45番岩屋寺への往復だけなので不要な荷物を宿の食堂に置かせて貰った。
もう1泊したかったが満員なのですぐ近くの民宿一里木に宿を予約した。
朝食を済ませて6時30分に宿を出発。大宝寺の前を通って山の中の遍路道に入る、曇っていたので遍路道はまだ薄暗く、たぶん蛙の鳴き声だと思うが変な声がして薄気味悪い。
大宝寺の裏山の峠を越えるようにして峠御堂トンネルの出口にでる。
少し歩いて河合の集落の休憩所で昨日の大阪からの夫婦に会った。近くの宿に泊まったそうだ。少し離れて彼らの後ろから付いて行く様な形で一緒に歩く。八丁坂の少し手前でまたまた長野の方と会った。昨日のうちに岩屋寺をお参りして今から三坂峠を越え46番浄瑠璃寺に向かうとの事。( ̄ヘ ̄)ウーン凄いなぁと感心する。昨日は朝の6時から一緒に歩いて更に岩屋寺のお参りまで済ませたとなると10時間近く歩いた事になる。しかも午前中に2つの峠を越えて更に八丁坂も登ったそうだから大したもんだ。しばらく立ち話をしてお互いの旅の無事を祈って分かれた。八丁坂はそれなりに結構しんどい坂道だった。しかし良い遍路道でした。・・・マムシ注意の標識も会ったけどσ(^_^;)…幸いにして出会わなかったし。
迫割り禅定の行場を下って45番岩屋寺の裏から参拝した。本堂、大師堂と終わって納経も終わり、空が晴れてきていたので一休みしてから納経所で迫割り禅定の行場に行く鍵をもらった。36不動をお参りして行場へ行くと大阪からの夫婦に出会った。彼らが降りてきたので綱と鎖を使って上まで登る。さらに頑丈そうな木製の梯子を上がって一番上の祠にお参りする。足場は少々悪いが頂上から見える絶景を十分堪能してから降りた。
岩屋寺を出て川沿いの遍路道を歩く、舗装道路に出る少し手前で休憩して昼食を取った。
舗装道路に出て国民宿舎古岩屋荘前の休憩所でトイレ休憩。ここで宿で一緒だった歩き遍路の方に出会う。少し話しをして一緒に歩く。彼は足に肉刺ができて歩くのが相当辛そうだった。前後しながら私は遍路道へ彼は舗装道路を歩く。帰りの河合の住吉神社の前で26日〜27日、29日まで宿が一緒だった神戸の方と再会する。もう日程もルートも違うので会えないだろうと思っていただけに驚いたが、これも何かのご縁でしょうと納め札を交換する。彼と暫らく立ち話をして峠御堂トンネルの入り口で宿で一緒だった方2人と会い一緒にトンネルを歩いてもらった。一人だと山越えの遍路道に入っただろうと思う。随分近道ができた、感謝。
宿に着いて預けてある荷物をもらい16時頃に宿民宿一里木へ着いた。
GWのせいかお遍路さんで宿は一杯でした。予約しておいてよかった。

三坂峠より道後の町を見る 

網掛け石

八坂寺
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道後温泉
5月3日
朝飯抜きで5時に宿を出た。曇り空。近くのコンビニで朝食のお握りを買い、暖かい缶コーヒーを飲む。ここから国道に沿って三坂峠までダラダラした登りが続く、途中で三坂トンネルの工事現場横を通って六部堂へ6時30分に着いた。
また新しいトンネルか・・・遍路道が無くならなければいいけどと思う。
国道をそれて遍路道に入る、三坂峠からの下りで道後の町がみえた。
町の向うはもう瀬戸内だろうか。坂を下りたところの東屋で休憩、7時30分。
山の中の段々畑を眺めながら歩く、徐々に坂道も緩やかになっていく。
網掛石を過ぎて46番浄瑠璃寺に9時10分に着いた。ここからは平坦な市街地だ。47番八坂寺、別格9番文殊院、札始大師堂を経由して48番西林寺へここでお金が少なくなってきたので郵便局を探すが今日は祭日で小さな局は開いてない。
納経所で休日でもATMが開いていそうな郵便局を教えてもらうが近くには無いとの事。結局タクシーで森松郵便局まで行きまた西林寺に戻ってきた。
昼は近くのうどん屋さんでぶっかけうどんを食べた。
49番浄土寺を14時05分、50番繁多寺を済ませ51番石手寺を16時にお参りした。石手寺を出た頃から雨が降り出したのでポンチョを出す。今夜の宿まであと少し。

何処のお寺へ行ってもGWのせいなのか参拝客が沢山いた。街に入ると道に迷ってよく地元の人に道を尋ねた。ようやく道後ビジネスホテルに着く。
明日の帰りの切符の手配もしたいので荷物をホテルのフロントに預けて伊予鉄道後駅の案内所まで行く。
夜行バスは旅行社かJRの松山駅でないと手配できないとの事なので近くの旅行社へ行くが4日も5日も満員だとの事だった。
バスで帰るのは諦めて4日に列車で帰ることにした。
ホテルで道後温泉の入浴割引券をもらい石鹸とタオルを持って温泉に行く、しかし行列ができていて順番待ちだとか・・・

並んで順番を待って芋の子を洗うような風呂に入っても仕方がない、疲れを取りに温泉に入るのに風呂に入って疲れるのでは馬鹿らしい。
これも諦めてホテルの風呂で我慢(^_^;
外食してホテルに戻りTVで明日の天気を見ると雨だ。
 


太山寺

円明寺
5月4日
朝から雨が降ってる、ポンチョを被って5時に宿を出る。雨なので外はまだ暗い。地図を時々取り出し見る。遍路道に入るルートを見失ってしまい結局街中を彷徨ってうろうろする。JRみつはま駅に向かっているつもりが蓮華寺の方へ行ってしまい、ルートを修正する。
どしゃ降りの雨の中8時頃何とか52番大山寺に着いてお参りを済ませ、53番円明寺に向かう、1時間程回り道したような気分だった。庶民的な円明寺に較べて大山寺は門から本堂まで結構距離のある大きなお寺だった。

今回の区切り打ちは53番円明寺までとした。次回は53番円明寺から打ち始める。
寺を出て少し歩く、JR伊予和気の駅に9時30分に着いた。
足元は靴の中までグショグショに濡れてしまって気持ちが悪い。駅の待合所のベンチに座って靴下を絞る。しかし今回は一度も足に肉刺ができなかった。
同行者にも恵まれたし雨に悩まされたのも今日だけだった。
10時4分の伊予北条行きのワンマン列車に乗り今治で特急に乗り換えて岡山まで岡山から新幹線で名古屋に5時頃着いた。

帰りの電車の中で次のお遍路の計画を練っている私は一体何なんだろう?
お四国病に完全に感染しているようだ。

     

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